このところコロナ闘病中。発端は先週金曜日孫の発症から、私は日曜から本格的に
発症。熱は37度台、食欲不振、喉が痛い、咳、倦怠感、腰・胸痛。息子(コロナ)の薬をもらって飲んでいたが改善せず、昨日通院。コロナと確定。大量の薬をもらってきた。いや、ひどいもんだ。コロナ、馬鹿にできない。皆さまお気をつけあれ。
今朝は熱は36度台に下がる。
それで新聞読んでたら、ひどく気になる記事があったので、書く。ついでにすでにできていた「この国のかたち」感想文も上げる。二つは、大いに関係する中味なのである。
毎日新聞 吉井理記記者の「極右論者らの浸透を許す自衛隊」という記事である。
防衛大・等松春夫教授の告発に触れて、さらに吉井は自衛隊がよぶ講師を紹介している。
ヘンリーストーク・竹田恒泰・桜井よしこ・門田隆将・井上和彦・桜林美沙の名をあげている。私が知っているのは、桜井よしこ・竹田恒泰・門田隆将の3人である。しかも少々しか知らない。
吉井記者は、全員が自衛隊には好意的だが現憲法には否定的という。私が知ってる三人はその通りと思うので、吉井記者の言っていることは当たっていると思う。
そして吉井は、元海自トップの古庄幸一の「戦後教育や現憲法下の日本は偽装国家」という発言や元陸自トップの「靖国国家護持」という発言を紹介し、自衛隊に共有された思想の一端がにじんでいるとみるべきだろう、という。
吉井は、護憲派の講師もぜひ呼ぶべきだという。当然である。
内田樹が自衛隊の講師になったこともあると、内田の文章で読んだことがある。だから吉井の言う通りかもしれないし、そうでないかもしれない。
しかし、元陸自・海自トップの思想が現憲法に反するようでは、極めて危険である。コロナのようにまん延しているのではないか。自衛隊内部で、その心配がある。危険である。
吉井記事の最後は、1972年の司馬遼太郎の防大講演で終わっている。司馬の「戦争をしない軍隊が一番いいんです」という言葉を引いている。
私は、防大の生徒諸君に司馬遼太郎「この国のかたち」の「統帥権」連作、「別国」とか読んでもらいたい。この本を図書館に返したので詳しくは言えません。
司馬遼太郎は、昭和の戦争の主原因を「統帥権の独立」=軍の立法・行政・司法(国家)からの独立をあげている。
武器を持つものは、国家に従うべきである。国家はすべて現憲法の支配のもとにある。自衛隊が現憲法否定の考えを持ち、それを実行に移したら、「戦争の惨禍」をもたらすのみならず、「自由のもたらす恵沢」を失い、「平和のうちに生存する権利」を失うであろう。(「 」は、憲法前文の言葉)
自衛隊は、現憲法を否定する輩を講師に招くべきでない。招くなら同数・同量の護憲派学者・評論家も講師に招くべきである。勿論右翼・護憲講師とは別に、シッカリした憲法学は学んでいるとは思うけれどね。
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「この国のかたち」(第1巻から第6巻)は、司馬遼太郎が、1986年~1996年、雑誌文芸春秋に寄稿した随想をまとめたものである。
但し、随想と言っていいかどうかは分からない。
少なくとも小説やノンフィクションではない。論文的な感じは少しするところもある(連作の部分)が、論拠を示すことが少なく、まあ論文ではないだろう。評論という感じも少しするが、評論にしては、話が飛びすぎるとも思う。二つ三つ、講演をまとめたものもある。まあ、どんなジャンルかは大した問題じゃない。ここまでは余談、以下に感想を述べる(この一文、司馬のまね)
⓵司馬遼太郎という人は、日本の歴史について極めて広い知識と関心を持っている人と思った。思想・文化・時代・階層・宗教・政治・言語、道具、まあ、広い広い。中国や朝鮮の歴史にも詳しい。広い翼でどこかに飛んでいきそう。ただ、アメリカへの言及は
あまりなかった。
②ユニークな視点と面白いエピソードがいっぱいある。ただし、読む私は、歴史的知識が大きく不足しているので、彼の言おうとするところをとらえられない。知識のある人が読めば、きっと滋味深い文章たちだろう。
ちと引っ掛かかるのは、読み終えた現在、殆ど忘れちまったこと。
これはどういう事だろうか。
俺の脳味噌の衰えはある。知識不足もある。それは今横に置いて、
昔読んだ「新選組血風録」「燃えよ剣」「竜馬がいく」「峠」「北斗の人」等の感想、「中味は殆ど忘れたけど、まあ面白かったなあ」に近い。うーん、この随想連作、小説みたいなのかなあ。
③読みやすい文章を書く人と思った。そうだな、話すのが好きな人なんだろうね。多分座談の名手 だったんではないかな。人を喜ばせるのが好きなのかもしれない。面白い話を聞かせてね。ほら昔いたらしい、子供や若者を集めて虚実取り混ぜて話をする老人、そんな感じの人かもしれない。雑談の大異才とは言えると思う。
④私の歴史への関心は、今後自分も人も子孫も、二度と戦争の惨禍にあわないように、「あの戦争はどうして起こったか、防ぐにはどうしたらよかったか」にある。
何処かで複数の人から、「司馬は、昭和を小説に書かなかった、代わりに「この国のかたち」を書いた」と聞いたので、読んでみた。しかし、あの戦争はどうして起こったかについては、あまり触れていないと感じた。
あの戦争の原因についての司馬の考えは、「日本全史から見て、昭和初期から敗戦の日本は、日本国と別国であり、異胎である。日本を変質させたのは、統帥権の独立(陸海軍が国会・内閣・司法から独立して、自分の意思を国家意思に反映させる仕組み)である。もっと言えば昭和の参謀本部である。」という事だと思った。
確かに私も統帥権の独立が、軍部の暴走の大きな原因と思う。なぜ統帥権の独立というものができたかについて、司馬の意見が聞きたい。
というのは、私は、明治憲法にその根拠があるからだと思うからだ。明治憲法の欠陥だと思うからだ。彼はそうは言わない。司馬は、「天皇は日本の歴史上、少ない例外を除いて、統治しないのが普通であり、政治に責任がないのが普通である。明治憲法下の明治・大正・昭和みなそうだった。憲法は悪くない。昭和の軍部が悪いんだ」と言いたいのだと思う。
確かに同じ明治憲法下の明治後半・大正時代には、軍部の横暴は抑えられた。そういうときもあった。しかし、明治憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」という規定がなければ、昭和初期の軍部と言えども、暴走は出来ないだろう。司馬の明治ビイキが明治憲法擁護になっている。
だから、戦後憲法下(この憲法は軍に関する規定がない!)の文民統制が正しいとは言える。憲法にないけれど、自衛隊法で「最高指揮者は総理大臣」という決めている。軍の暴走をおさえるのには良い。
ただし、総理大臣が、戦争好きとか戦争やむなしでは困る。岸田政権が、GDPの2%を防衛費にというのに対して元自衛隊の上級幹部が(名前忘れた)、「2%は、自衛隊の身の丈を超えている」、と批判している。軍人の方が合理的なこともある。
いずれにしても、総理大臣は国会で選ばれ、自衛隊法・安保法などの法律は国会で決まる。予算は国会で決まる。その国会は、国民の投票で決まる。国民が、戦争好きとか「戦争やむなし」ではしょうがない。自業自得というやつだ。但し、戦争が起きたら「海外に逃げて楽に生活できる人」、「シェルターを持てる人」、「徴兵される人」、「兵に志願するしか生活する道がない人」等等の差がでる。中国との相互経済制裁で、どちらも経済破綻する。
その場合でも、全然問題ない人、困る人、儲ける人、この差は大きいだろう。餓死者も出るに違いない。
経済的に力のない人は、絶対戦争にならないよう行動すべきだ。
どんな大金持ちもどんな貧乏人も政党を選ぶ権利は平等だ。その辺考えてほしいな。
国民が投票率50%、あなた任せでは困る。戦死者もその遺族も、司馬も大江も井上ひさしも加藤周一も樺美智子(60年安保闘争で死亡)・・皆泣いているよ。
どこに投票していいかわからぬ、なんてばかなことを言いなさんな。日本が攻めてられなくとも米国と一緒に戦うのOK(安保法)、敵基地攻撃OK、防衛費はやがて教育費の2倍に、なんて言っているのは自公だろう。それに厳しく対処すると思われる政党に投票すればいい。
⓹話は変わる(司馬のまね)
1931年の満州事変は、関東軍(中国北東部派遣軍)の一部が、軍の中央を無視して勝手に、自作自演の侵略を始めた。軍の出先がなぜこういうことができるのか、を追求するのは大事である。
そして、もっと大事と思うのは、国民の多数がこの軍の一部の行動を支持したことである。だからこそ、軍の出先はその後も態度がでかくなったのである。なぜ支持したか、の理由の一つは、真相(日本軍が日本の鉄道を爆破し、中国の仕業と偽った)を知らなかった故である。なぜ真相を知らなかったか、軍や政府が隠したからである。
政府は決して真相を隠してはいけない。特に自分に不利なことを。この点で思うに、特定秘密保護法は危険である。廃止しておくべきである。真相を明らかにするために学者やメデイア・野党の奮起を望む。
またもっともっと重要なことは、国民が「他国の領土である満州を日本の生命線」と何故思ったかである。司馬はこの点には触れていない。自分で考えなきゃね。
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初めに最後の第6巻を読んである程度まとめようと思いましたが、澤地の「うみよ眠れ」と違い、戦争防止という観点から、そこまでの価値はないと思い、やめました。「うみよ眠れ」は、終わりに近づきどんどん省略はまずい、という気になりました。
「この国のかたち」は、知的香りのする歴史談話って感じですね。さてと、しょうがない。かつて挫折した「坂の上の雲」を読むか。
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またまた長くなってしまいました。ここまで読んでくれた人がありましたら、お礼を申し上げます。