9月30日は、わが孫(年中組)の運動会であった。
彼女の出場種目は、徒競走、障害物競走、クラス対抗リレー、マスゲーム(踊り)の4種目であった。
案の定、徒競走・障害物競争は、ラストであった。それもかなり差を付けられてである。昨年は親に手を振って、笑顔の余裕でラストであったが、今年は本気でラストであった。園の先生の言う通りである。「年少さんは競争心がなく、走ること自体が楽しくて、年中さん以上になると競争心が芽生えて一生懸命走る」。
競争心が芽生えた後の圧倒的ラストであるから、彼女は、どう心を納得させるのだろう。家では、親も祖父母も本人もあまり運動会の事では、話をしなかった。
妻とは、話をした。
「うーん、運動神経が鈍い、トロい」「体が重すぎる」「コロナで休んだのが悪かった」「誰かはラストになるんだから」「もっと練習をした方が」「体を動かすのが好きじゃないからなあ」「口が達者だからいいんじゃない」「まあ、出れたんだから」「誰に似たんだ」
似たのは、勿論私メである。幼稚園~小学校中学年まで徒競走は、ずっとビリであった。幼稚園では、苦い思い出がある。運動会ではない、多分練習の時かな。競走でどんどん置いてきぼり、いやになってわざと倒れた。その後どうしたかは覚えてないけど、わざと倒れたことは鮮明に覚えている。自意識が完全に芽生えている、つらいのである。圧倒的に遅いのも嫌だし、わざと倒れた自分も恐らくたぶん嫌なのである。
女子にいじめられた記憶もある。結局私は数か月で退園した。次の年が小学校。祖父にも父母にもさんざん言われた。よく覚えている。「小学校はやめることができないんだよ」
通信簿を見ると、1年生では16日休んでいる。病気したのかさぼりなのか、記憶がない。成績も低空飛行であった。5段階で3が一つ二つぐらい、あとは2と1である。
運動会は、小学校時代を通じてずーと嫌だった。ひどく嫌だった。とても嫌だった。鼻血が出る病気になって、お医者に「運動会には出ない方が良い」と言われた時(多分3年か4年)のなんと、嬉しかったことか。
このダメな自分をどの様にして、自分を納得させたのか思い出せない。
恐らく・・・小さい子供の世界だって、競走ばかりじゃない。運動会ばかりじゃないのである。競争ばかりじゃない。
様々な遊びがあるー相撲・砂遊び・川遊び・魚とり・釣り・木登り・粘土や木の舟作り、紙飛行機飛ばし、探検・冒険ごっこ・自転車、絵本・漫画、パッタ・ベーゴマ・鬼ごっこ・馬乗り、球技・・・。これらの多くは、競争が中心じゃない。協力してやることもある。
競争でも、ほら、味噌っかすという制度があるだろう。年齢差もある。で、うまい奴や下手な奴にはハンデを付けて面白くするなんて、ごくごく普通にやってただろう。団体戦では、双方力が同じようにチームを作るのは当然である。差があっては面白くないのである。本気になれない。差がありすぎては、見てても面白くない。
私は多分、遊びの中で協力・協調の楽しさ・大切さを覚え、ハンデを付けて競争を楽しくすることを覚えたんだろう。そんな中で競走・競争ばかりじゃない、と知ったんだと思う。
今の子供たちは、どんな遊びの中で協力・協調の楽しさ・大切さ、ハンデを付けて競争を楽しむ経験をしてるのだろう。
大人の世界でもこうありたいものである。
大人の世界でも協力・協調は必要なもので、会社内では普通にみられる。会社間でもある。国家間でもある。しかし国家間では、現在競争と対立が強調され過ぎていると感じる。国家間の協力・協調をより多く・強くすることを考えてみる必要がある。
一方大人の世界でも、団体戦あるいは個人戦で激烈な競争がある。そして大人の世界では、ハンデを付けて楽しむというのはない。ゴルフなどの遊びを除いて。
競争は、向上や発展の原動力である。しかし競争の結果がすべてというのは良くない。
敗者のやる気を失わせる。その結果全体の向上と発展を阻害する。
世に当然と思われている「自己責任論」は、「競争の結果がすべて」という考えである。それは良くない。
競争での勝者の得たものの半分は、全体に返すようなことを考えるべきである。例えば、株式配当や株式売買利益への50%課税(現在20%なので、儲けの大きさにより30%、40%、50%、・・・80%)なんて面白いと思わないか?
相続税も同様である。多くの遺産を残した祖父母・父母は偉かった、しかし、子や孫はまだえらいわけじゃない。
えらかった人の子や孫にはマイナスのハンデを付けるべきである。偉くなかった人の子や孫には、プラスのハンデを付けるべきである。具体的には、相続税・贈与税の累進的課税強化である。その金を全体に返すべきである。例えば教育費は公私立問わず、大学院まで無料とか。この考え、おもしろいとおもうがなあ。
さて、現在の日本の政治。圧倒的に自公が強い。これでは面白くない。主張なんて二の次。考えることない、野党に投票して面白くすべきである。
世襲議員は、祖父母父母の遺産相続人である。
ハンデを付けさせよう。他の小選挙区からの立候補しかできないとか。
まあ、国会議員そのものに年数制限を付けるのも面白い。衆議院・参議院どちらも通算最大24年しかできない、なんてね。
議員となり、人の金で勉強できたんだから(しかもえばれて、多分いい思いをして)、経験も積んだんだろうから、知識も得たんだろうから、他の仕事もできるだろう。政治家が職業というのはまずい。
さてわが孫、どんなことで自分を納得させたか、今後競争社会でどんな生き方をしていくか、心配であると同時に楽しみでもある。
今朝私は、恐る恐る聞いてみた。「運動会で何うまくなりたい」孫「かけっこと平均台と踊りと鉄棒」元気に冬服で出かけて行った。期待できるぞ。