「年だなあ」、猪苗代湖方面旅行

11月13日、旅行に行くことになった。妻のプールの休みは、知っていたが、2人の意見が突然一致して、一泊二日の旅行決定。1か月ほど前の新聞チラシに安いホテルが載っていたのを思い出して電話。第一希望の会津はダメだったが、猪苗代がOKだった。

ブログ知人の四丁目でCan蛙さんが紹介していたガラス館に、妻が興味を惹かれた。

2023-10-27

秋のドライブ(5)松島から小雨ふる猪苗代湖へ(ガラス館) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~

11月15日9時20分相馬出発。途中省略。11時30分猪苗代到着。昼飯はラーメン。河京喜多方ラーメン店へ。

お店で一番人気のラーメンという事で注文した。
私は、ラーメン大好き人間である。喜多方や白河にはラーメンを食べる目的だけで何べんも出かけたものだ。

このラーメンは、チャーシュー多く、坂内食堂(喜多方)風。味はまあまあ程度。

私は、坂内食堂より、まこと、源来軒、長谷川、松食堂の方が好きである。書いてみてびっくりだ。皆2度以上食べているなあ。何せ会津には5年いたからなあ。相馬に戻っても何回も出かけたものだ。

この小座敷に珍しいものがあった。

昭和のTV、電話、ピンクレデイ、高倉健等。この河京って昔からの店なんだな、多分。

 

ほんとは、2階の「ラーメン半ちゃん、食べ放題、トッピング自由、70分」に行きたかったが、妻が反対、しかも満席故断念した。

満腹の後は、道路を挟んだガラス館へ。詳しくは、Can蛙さんのご紹介をご覧ください。

私は多分店内で一番高いお値段の商品を紹介する。

入口すぐにあった。多分、ボヘミアングラスで4百数十万円とあった。(自信なし)

妻は、このガラス館を大いに気に入り、時間をかけて、ベネチア風のペンダント?を買った。私全く興味なし。

その後は、約15分ぐらい車で走って土津(はにつ)神社へ。ラーメンを食べた河京食堂の新聞で見た「紅葉がきれいだ」という投書を見て興味を惹かれた。

土津神社鳥居。大きな鳥居であった。

会津初代藩主保科正之を祀った神社だそうだ。知らなかった。

彼の残した遺訓(会津藩は徳川本家=幕府のために誠を尽くせ)を忠実に守り、幕末の会津藩松平容保は、風雲急を告げる京都守護職を引き受け、新選組も含めて、激動の歴史を刻む。白虎隊の悲劇、斗南藩の苦闘を思う。

どうも、私は、この会津藩新選組が好きだ。平家物語が大好きなので、俺は滅びが好きなのかもしれぬ。

薩長等の新政府の「国民国家建設」が歴史の本流であり、日本国の独立維持という大手柄は認める。会津藩幕藩体制維持がもはや無理とは思う。その意味で会津は、頑迷固陋とは言える。権力闘争に敗れたとも思う。

でもなんか好きだなあ。会津

北海道の利尻島に行った時、会津藩が北方ロシアに備えてを、利尻・宗谷・樺太を守るため出兵したと知って、やはり好きだなと思ったのであった。

 

さて、主目的の紅葉であるが殆ど終わっていた。

一部紅葉が残った所。
ここから約20分で宿舎のホテルへ。3時20分頃到着。

ホテルから見た猪苗代湖。雨は降っていない。窓の汚れである。
翌朝は、9時30分出発。

猪苗代湖遊覧船の白鳥丸とカメ丸である。一時廃船の危機にあったが、復活したそうだ。

白鳥丸船上からの猪苗代湖磐梯山である。

郡山市磐梯熱海経由で帰ってきた。午後2時20分相馬着。

あーあ、年は取りたくないものだ。

野口英世記念館・天鏡閣・スキー場・裏磐梯等等、会津若松方面にだって行けた。見どころまだまだあるのに、くたびれて、早々帰ってきた。

長女が6~7歳ころ、初めて一泊の家族旅行をしたのが、この猪苗代である。国民宿舎に泊まった。あの頃はあちこち見て歩いた。

帰る途中、「来夏、尾瀬に行こう」と誘ったら、妻「一人でどうぞ、くたびれる」だって。尾瀬は、子供たちと数回、夫婦だけでも、1回は行ったのになあ。

我ら夫婦、年取った。