本日、開戦記念日

12月8日早朝、日米開戦の日に、それには特に関係はないんだけど、NHKスペシャル・新ドギュメント・大日本帝国の転換1942(不確か)の前後編を続けてみた。近頃我が家のNHKプラスが調子が悪くて(途中で切れる)、まともに見たのは、久しぶりだ。

 

番組は、1942年の日本とアジアでの太平洋戦争についてである。1942年は、戦争の転換点という視点である。戦況では、勝利から敗戦へ転換という事で、ミッドウエー海戦、ガダルカナル戦を扱っていた。東アジア支配(大東亜共栄圏)では、東南アジアでの、「日本の支配を歓迎する風潮から抵抗へ」という転換を扱っていた。

 

エゴ・ドギュメントとCGで、太平洋戦争を追体験という触れ込みに惹かれた。エゴ・ドギュメントってなんだ、と思って見てみると、個人の手紙や日記や回想録のことであった。それらに含まれる単語をAIで処理して(主として、出現する単語の出現頻度らしい)社会の変化を見るという番組制作であった。

 

内容的には、私には驚きはあまりなく、これまでの知見をAIで補強したという感じであった。

 

思ったこと

〇エゴ・ドギュメントなんて言わずに「個人の手記」でいいんじゃないか

〇戦局の転換と国民の意識変化と情報統制という三つを扱い、少々まとまりに欠ける番組と思った。

〇政府・軍部の情報統制(隠ぺい、さらに捏造)とそれにひれ伏すマスコミがいかに国民を誤らせるかを、再認識した。現代でも政府情報無批判の垂れ流しや批判精神のないマスメデイアは存在価値なし、あるいは害悪と再認識した。

〇敗戦時の終戦記念日特集に比べて、マスコミの開戦記念日の特集は、格段に少ない。

開戦記念日に関する特集を、朝日と毎日の新聞で探したが、朝日の社会面で少々(真珠湾攻撃の軍神=特殊潜航艇での死者を、戦後の国民が冷たく扱ったという記事)しかなかった。

〇メデイアと(私を含めた)国民の、開戦記念日と終戦記念日の扱いの差は、どこから来るのか?気になった。政府は、終戦記念日に何やら式典を開いている。開戦記念日にはそれがない。

それがマスコミや国民に影響しているのかもしれない。

では、政府は何故開戦記念日を設けないか。記念日というとお祝いという感じで、開戦にそぐわない面があるが、しかし、終戦だって直接にはお祝いじゃないだろう。

 

なぜ開戦を記念しないのか?

 

真珠湾攻撃が、奇襲という戦時国際法違反の作戦(結果的に)なったからか、あるいは、卑怯という印象から忌避しているのかもしれない。

 

終戦記念日は、被害がクローズアップされ、開戦は加害という面がクローズアップされるからかもしれない。反省という面では、開戦の方を重視すべきではないか。

 

いや、太平洋戦争は、日中戦争という日本の侵略戦争の不始末から生じたものという考え(私もまったく同意)から、満州事変記念日とか盧溝橋事件記念日の方が大切かもしれない。

 

とにかく、開戦記念日は、政府制定で何かした方がいい。まあ、国民感情としても絶対無理だろうけどね。(そこが日本の弱点だ)