母の死

母は8月22日午前5時36分逝去した。食べなくなって37日目である。2日前から血の流れの滞りが見られた。3、4日前から、たんが多く出始めていた。それで横向きにしかできなくなった。
 8月22日午前1時頃、喉に痰が詰まる状況が起き、訪問看護センターに連絡。家族で対応=向きを変える、背中をゆっくりさするという指示を得たが、向きを変えてもなかなか治らず、看護師に来てもらった。吸引器がたんを吸引してもらった。それが1時40分ごろだ。
 同日午前5時10分ごろ、呼吸が荒い状態になったので、背中をさすりながら、口をあける。舌が前に出てきた。肩や下あごを動かし呼吸している。看護師に連絡すると、家族で見守れという返事。呼吸が止まったら連絡せよとのこと。午前5時30分ごろ、呼吸間隔が次第に遅くなり、かつ弱くなっていった。午前5時36分ごろ、吸引器で吸引しようかと管を差し入れた時、大きく呼吸しそしてそれ以後呼吸をしなくなった。看護婦が午前5時50分ごろ来た。心音を聞いたが特に何も言わず、医師に連絡。医師が5時55分ごろきた。心音と瞳の光反応を見て,死亡を宣告。6時2分がその時間である。
 自宅で家族で見送るという選択をして2カ月。悔いはおおむねない。イロウの道もあったとは思うが、危険も伴ったのでやめた。イロウをしないという選択は、命を縮めたのか、長引かせたのかそれはわからない。
 死亡の5日後の今日も俺の腕には、体位交換の時の母の重さと温かさの感覚が残っている。そしてパット交換の時の自分の顔付近にまで引き付けた時の母の呼吸した息も。