特定秘密法保護法が成立した日に(2)

福島県9条の会講演会にいって来ました。中心的行事は、元・前町長3名のリレートーク憲法学者樋口陽一氏の講演でした。その要旨を簡単にまとめます。

①元霊山町長の話

○「国民の利益にならないもの」を「国益」と言っている。

原発関係を隠すのが、「特定秘密法」だ。

○これからが、国民の力を発揮するときだ。原発反対。憲法守れ。

②前国見町長の話

特定秘密保護法強行採決は、ヒトラーの手口と同じだ。

○昭和22年生まれの私にとって、平和は当たり前。これからはそうじゃなくなる。子や孫を守るため、9条を守る活動をする。

③元三春町長の話    東アジアを村にたとえて

 我が家(日本)は、東アジア村の東はずれで、本家(中国)野文化を吸収し栄えてきた。近代に入って、本家を見下し、隣の家(韓国)を支配し、本家の満州を横取りした。その後遠くの有力者に(アメリカ)にコテンパンにやられ、ひどいことになった。
我が家は「悪うござんした」と反省し、新しく家訓(憲法9条)を作り「ピストルなど凶器を持たず、仲良く村の人と生活する」ということでやってきた。
 ところが、だんだんそんなことを忘れ、変なことを言うやつがでてきた。ほんとに反省しているか疑わしいもの。武器を持った遠くの有力者にごますり、一緒に力で利益をえようとするもの。わざわざ隣の悪いとこばかり探そうとするもの。
こちらのたちの悪いものが騒げば、隣のたちの悪い奴も騒ぐ。中には凶器を捨てたのが間違いとか、「悪うござんした」と謝ったのが間違いなんて言う奴も出てくる。
 隣は一番の上得意様。人・もの、うんと行き来してる。なんで、家訓(憲法9条)を変える必要あるか。


樋口陽一氏の話

○「特定秘密法の成立等、政権の強権を民主主義の破壊」という声には賛成だ。しかし、一方民主主義の論理でもある。二つの選挙で 安部政権を選んだのも民主主義のルールに沿ってだからだ。

○何故国民はあべさんをえらんだか。1年ごとに首相が変わるのは恥ずかしい。決められない政治はだめだという意見が強かった。
 ねじれ国会がだめだという意見が多かった。私から言わせれば、ねじれがいい。権力分 立が立憲主義の基本と思うからだ。
 現状では、「決めさせない」知恵が大事だ。決められる政治に対して。

伊丹万作が戦後に言った「騙されたものにも罪がある」と。騙されるものは、何べんも騙される。

○「自民党憲法改正案は、明治憲法への逆戻り」という批判は甘すぎる。明治憲法は、19世紀欧米のスタンダードを取り入れている。 立憲主義憲法が政治を制約する、を持っている。自民党憲法改正草案は、19世紀のスタンダードもクリアしてない。自民案のQ&Aでは、現憲法の前文は、「天賦人権ぶり」があり、それが気にくわないと言っている。自民案には、現憲法にある「人類普遍の原理」という文言が消えている。
 

○戦後に立憲という考えが弱くなった。民主主義ゆえ、国民によって選ばれた故、制限する必要なしという考えは間違いだ。国会も制限される。国民自身もやることが制限される。

憲法で最も大事なのは、13条だ。「個人として尊重」されるという規定だ。これは国会の決定でも奪われない人権だ。自民党改憲案は、「人として尊重」となっている。この違いは大きい。

自民党案「国防軍」の規定は、「今ある自衛隊をそう呼ぶのだ。現状に合わせるだけだ」という主張はウソだ。
 
国防の域を超える軍隊だ。 それは、新しく付けくわえられる第9条3項「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動・・・行うことができる」に表れている。
 
 この条文はいかようにも解釈できる。この憲法があればイラク戦争に初めから自衛隊は参加してい  た。 現憲法9条があるからこそ、小泉内閣も、自衛隊を「非戦闘地域」にしか送れなかったのだ。

もちろん、憲法に書かれているからだけじゃない。これを支える広範な国民の声があったからだ。


○現憲法人権条項は原則のみ規定しているが、自民案は、例外を多く設けている。例外を原則にしている。人権制限の憲法案だ。

○制限を外した条項もある。経済活動の自由を制約する「公共の福祉」である。市場主義の方向を憲法に入れている。

井上ひさしは、1986年「「反原発」の考えを原発を推進している東北電力電力ホールで述べた。そこで彼は、「原発はやらせである」「電力は余っている」と主張した。東北電力社員も多くいたであろう中で主張したのである。

 彼は言う。「個人として考えて欲しい。」「人間としての部分と人間としての部分でつながり、お互い手を組み合って行こう」と呼びかけていた。

○「戦後」が積み上げてきたものを次の世代に引き継ごう。


感想
①みなさんの言うこと、まことにもっともだと思った。

井上ひさしは、やはりすごかった。井上ひさしが生きていてほしかった。原発事故やら安部政権の暴走やら秘密法やらの本質をズバリ分かりやすく面白くわれわれの前に示してほしかった。

加藤周一も生きていてほしかった。この日本の現状を鋭くえぐってほしかった。井上ひさし加藤周一ももういない。かくなるうえは、一人ひとりの知恵の総体で、井上ひさし加藤周一にならねばならぬ。彼らを越えねばならぬ。

④集会は500人集まったという。福島県の9条の会の有志である。なんと年寄りばかりだ。俺が若者の方だ。7・8年前東京有明であった9条の会の集まりで、思ったことだが、年寄りばかりで大丈夫かと。

⑤今日はこう思った。若者は仕事で忙しい。年寄りがやるべきだと。良い目を見たのが年寄りだから。もっとも若いころは今の若者より苦労をしたことは分かってほしいとは言いたいが。

⑥妻に言われた。「これで終わり?せっかく集まったんだからデモでもしないと。だからだめなんだ」と。なるほど考えもしなかった。

 これが俺らの弱さだな。事務局にはこんな発想なかったのかな。地元の町じゃ恥ずかしいが、福島市なら参加するぞ。