教育は次代の主権者をはぐくむ行為ー教委制度見直し反対、領土教育について

朝日新聞1月29日トップ「教委制度見直し本格化=政治主導、首長に権限」
リード文「安部政権が教育委員会制度の見直しに本格的に乗り出した。安部首相は、28日衆議院本会議で「現行の制度を抜本的に改革する」と表明。政治からの中立性を保ってきた教委の権限を自治体の長に移し、政治主導の教育行政に変えるねらいだ」。

同紙によると、1.現在教委が教育長を選出しているのを首長が任命し、2.首長が教育行政の大綱的方針を策定、3.教育長が日常事務を執行、4.教委は大綱方針などを審議、と言うのがその中身だ。

首長が、大綱策定と教育長任命を通じて教育行政を行うというやりかたである。

見直しの理由は、同紙によれば、1.教職員労組が一定の影響力を持つのが問題で、選挙でえらばれた首長こそ民意を反映している、2.いじめ問題でみられるよう、教委は無責任。という理由である。

 1.について、
教育をある政治勢力が支配するのは、間違いである。教育は、将来の主権者を育てるものだからだ。労組も首長も支配してはいけない。
しかし、労組と首長はひどくちがう。労組が教育を支配しているか。否である。労組は個々の組合員(教職員)に命令は出来ない。支配できない。組合員は聞く必要もない。実態的にも労組加入率は低い。首長はどうか。首長は権力である。財政権、間接的人事権をもつ。教職員を支配する可能性が高い。首長の教育支配はまずい。今度の改革では、首長に直接的人事権、大綱決定権を持たせる。ますますまずい。

選挙で選ばれた首長は教育への民意を反映するか。言わずとしれたことだ。否である。教育を争点の自治体選挙などあるまい。さらに言えば、民意=多数意思が教育を支配していいか。簡単にいいと言えまい。少なくとも多数がいつも正しいと言えないだろう。
  
民主主義は、多くの留保があるが、多数決で運営される。その前提は、自分でものを考え自分で判断する自立した個人の存在である。
自立した個人とは、何かを教えこまれる教育ではそだたない。少なくともある政治勢力が教えこんではいけない。そのためには分権が大事だ。この意味から首長への権限集中はまちがいだ

2.教委は無責任体質 と言うのを直せばいいだけだ。実権は教育長=行政がにぎっているのだろう。もっと教委を強くすれば、彼らも責任をもつ。公選制教委の復活の方が正しいと思う。


ついでに
文科省が、学習指導要領の解説改定を通じて教科書に「尖閣竹島」を日本領土と明記するという指導方針をうち出したことについて
意見をのべる。日本政府の意見だとして言う注釈つきなら賛成である。と言うことは、中国・韓国政府の意見も同時に示せということでもある。自国の意見が正しいと教え込むのはまちがいである。戦前の日本や北や韓国や中国と同じ独善のまちがいである。
韓国・中国にも言えばいい。われわれは、我が国の主張を教えているがお宅の考えも教えているよ、お宅もそうしろと。中・韓はこれを受け入れないだろう。それでも、これを世界へ発信すればいい。
政権が、自国民の領土意識を高めれば領土問題をいい方向に解決できると考えるなら、それは浅はかだ。相手もそうするんだから、無駄だ。実際そうしている。これは緊張を高めるだけだ。安部氏とその同調者は独善という特徴があるのじゃないか。「国際協調主義に
基づく積極的平和主義」だと、どこが国際協調なのか。独善主義に基づく積極的米国従属軍国主義と言った方がいいのじゃないか。