「特攻は、もううんざりなんだよ」ー「翼に息吹を」

(ネタばれ)
熊谷達也著「翼に息吹を」を読んだ。

主人公須崎少尉は、昭和20年鹿児島県の知覧特攻基地で、特攻機の整備に当たる。
彼の仕事は、特攻機がきちんと飛べるように整備することである。
「敵艦轟沈を決意して特攻隊員が飛びたったからには、かれらを米軍の機動部隊を見ることもなく死なせてしまったのでは隊員の魂が浮かばれない」。彼は、不眠不休で整備に当たる。

描写は、戦闘機の細々とした整備の様子を淡々と描く。特攻隊員の様子も語られる。そのひとり、出撃後整備不良で戻ってきた特攻隊長高沢少尉は、部下を先に逝かせたことに負い目を感じている。機体整備が完成し明朝が出撃という時、彼は言う。
「須崎さんの御尽力で、ようやく私も、彼らの後を追うことが出来ます。本当にありがとうございました。・・・」

先に百田氏の「永遠の0」を読んで感動したが、「翼に息吹を」に描かれた様子が、特攻の本当の姿に近いんだろうと思う。

物語は、何べん出撃しても、機体の不備を理由に戻ってくる有村少尉の出現で急展開する。
戻ってきた有村少尉機には、不備が見られない。知覧の町には有村の妻が来ている。基地内には命惜しくてウソをついて戻ってくるとうわさが流れる。
須崎少尉は、有村の様子を見て処罰覚悟で、基地司令に上申する。「今の精神状態では、敵艦への突入が出来ない、飛行機の無駄になる」と。基地司令の中佐は言う。「無駄でもよい。少尉には何が何でも出撃してもらう」
知覧の町で、須崎少尉は、彼の妻に会う。彼の妻は、自分の体を提供するから夫を助けてくれと須崎少尉に願う。

有村は、5回目の出撃で自分の故郷で自爆する。彼の死は、不慮死として扱われ汚名だけが残る。彼の妻は精神異常をきたす。

その後も、須崎少尉は、不眠不休で淡々と戦闘機を整備し、淡々と特攻員を見送る。ある時撃墜されたグラマンの機体の美しい潤滑油を見て、この戦争の必敗を確信する。もともとあった特攻への疑問がはっきりしてくる。無駄死になんじゃないかという疑問。

知覧に赤痢がはやり、須崎少尉も罹患する。復帰した須崎少尉は、荒廃した少年特攻兵を見、他の特攻兵器(震洋・蛸つぼ作戦など)の話を聞く。須崎は部下とともに特攻機再武装を施す企てをする。
少年特攻兵たちに「本来そうあるべきであった戦闘機乗りとして空を飛ばせてやりたい」と思うからだ。
再武装に反対する部下に対していったことばが、「特攻は、もううんざりなんだよ」

この企ては露見し、須崎は罰を受ける。罰は、知覧基地に配属された特攻機の損失の作成である。須崎は命令と別の一覧表を作る。
特攻隊員が生きたあかしを示す一覧表を。彼らの生きた息吹を記録に残す。

・・・・・あらすじ終わり・・・・

「永遠の0」とは別の感動を受けた。この書で熊谷は、整備員からみた特攻の姿を描く。

熊谷は、その本質を須崎の上司に語らせている。
「隼や九七戦など敵にとっては蚊トンボが飛んでいるようなものだ。時がたつにつれ、そのような役に立たん機体が山積になって来る一方で、即製の未熟な操縦者がどんどん飛行学校からあふれ出てくる。さてこれらのいずれも戦闘には使えそうもない機体と操縦者をどう運用するか?答えはおのずと出てくるだろう。少しでも見込みのありそうな運用方法は特攻しかないだろう」と。

熊谷は、主人公にこうも言わせている。「特攻機を見送る整備員、知覧の人々、女学生、私を含めた皆が、特攻隊員に絶対にここに戻ってくるなと、暗黙のうちに強いたのではないか」

この小説は、熊谷の特攻に対する考えを述べたものだ。そこには「永遠の0」に対する異議があるようにも感じた。そして、「特攻に意味があるか」に答えを出せるのは、死んだ特攻隊員と後世の人だと言う熊谷の言葉が心に響いた。熊谷の真摯な思考が心に響く。

「永遠の0」に感動した人は、機会がありましたら「翼に息吹を」の方も読んで見てください。