「白鶴ノ紅」「残照」「霜の朝」

近頃白内障と脳みその衰えで、本をあまり読まなくなってしまった。

これではいかん、ということで小説を三つほど読んだ。全て忘れるので、感想を書いておく。

佐伯泰英「居眠り磐音」第48巻「白鶴ノ紅」
お家騒動にに巻き込まれ、友人を殺害し、その友人の妹であるいいなづけを失い、藩中枢の跡継ぎという身分も失った男の、無敵の剣を頼りにしたどん底からの上昇・栄華の物語である。おっと、この男、剣ばかりでなく、知能もよく、顔姿もよく、運も良く、何と言っても人に好かれるという才能を持つ。

面白くて48冊も読んでしまったが、だんだんとつまらなくなった。不遇の時代は、面白い。やがては、江戸の有名美人を妻にし、豪商・幕閣・御三家・元の藩主・吉原の太夫
剣の名人に気に入られ、長屋の人々に気に入られ、もう、うらやましい限りで、馬鹿馬鹿しい。夢の限りを実現したという男の物語。読んだことないけど、晩年の光源氏みたいなものか?
もう止めようや、佐伯さん。なんでもかんでも実現すると面白くないよ。そんなことないもの。

そういや、NHKの朝ドラ「あさがきた」も、時々チョイ見しているが、女の夢ものがたりを描いているように思えた。もっとも、大した見てはいないので間違っているかも。「甘い。そんなにうまくいかんだろう。女の夢物語だ」と言ったら妻に怒られた。「うるさい!」

小杉健治「残照」
小杉健治は、好きな作家のひとりだった。しかし、脳みその衰えで、多くの人物が錯綜する推理小説は、なかなか読みこなせなくなった。(いや、もとからかも)あれ、これ誰だっけ?となる。
「残照」も同じ印象を受けた。ただし、彼の持ち味である、現代社会の問題を背景に描く
という特徴は良く出ている。「いじめ」「ひきこもり」「ストーカー」「警察の堕落」
「官民癒着」「高齢化社会」等。2001年の作という、15年も昔からこんな問題あったんだ。いや、まだ解決できてないのか。

この本で印象に残ったことは次の通り。
戦後の繁栄の出発点が間違ったのじゃないかと言う発想。それは、戦後の指導者は、戦争を終わらせようとした人たちで、彼らは、戦争中から、敗戦後の自分の保身・利益のために行動した自己中の人たちだと言うこと。それが戦後の無責任・自己中社会の源泉という見方。(一応)なるほど。真面目な連中は死んだのかもね。
昭和天皇も平成天皇も、現在でも、戦争責任を言葉には出していない。それが戦後の堕落の基という考えもわかる。一方、平成天皇は言えない立場にあるので、できるだけ行動で示していると言う感じもする。
また、これは間違いなく言えるとおもう。戦後日本は、指導者のみが作ったのではないこと。一般庶民は、仕事・生活に無責任ではなかった。そうでなけりゃー、人口ボーナスがあったとしても、GDP世界2位を40年も続けられる訳がない。世界トップクラスの安全な社会の保持はありえない。

小杉の小説は、こんなことを考えさせられるのでいい。また、大体最後は、温かいエピソードで終わる。それが良い。この「残照」も同じであった。

藤沢周平「霜の朝」
短編集である。故に話が分かって面白い。元々藤沢周平は好きな作家だ。随分読んだが、
「良いなあ」とか「面白いなあ」とか思ったことは覚えているが、中味はほとんど覚えていない。もったいなくも思うが、それでいいのだ。そんなに覚えていたら、頭がパンクするのではないか。

この小説も、「居眠り磐音」と違い、「人生はそう甘くない、しかし滋味がある」「人生はつらい、しかし、小さな幸せがある」と言う感じの小説達である。良いねえ。いい。しかし、どうしようもなく、突き放される話もある。
「クシャミ」は、その一つ。緊張する大事な場面で「クシャミ」が出ると言う男の話。クシャミが縁で妻をめとるところなぞ、ユーモア小説みたいである。しかし、本筋は、シビアである。上意討ちを命ぜられた「クシャミ」男。うまく、危機をしのいで、上意討ちを果たすが、実は、この男が討つ相手の方に正義があるのでは、と思わせるエンドである。

私は、平均で言うと健康寿命はあと5年、寿命そのものもあと15年弱。知りあいも彼岸と此岸でどちらが多いかという段階である。残された人生どう生きようか。