妹が応援してくれていたー「ラッツォクの灯」を読んで

藤田宜永(数冊)や葉室麟を読んで、またふらりと熊谷達也に戻った。藤田も葉室も読んでいるうちは面白い。が、それだけである。勿論それだけでいいのである。しかし、感想を書こうと言う気にはならない。これらは、感想に書かれない以上、中味を全て忘れるだろう。そしていつか、同じものを読んでる途中で、あれ、「前に読んだやつだ」となる運命が待っている本たちかもしれない。まあ、それでいいのである。

熊谷達也の連作短編集「希望の海」は、自分のために(備忘)感想を書いておきたい。これから読もうと言う人には、「ネタばれ」と言うのだろうか、楽しみがなくなるかもしれないので、注意してください。特に表題作品は大ネタばれです。お薦めできる作品ですが、読むかもしれない人は、私の文章を読まない方が良いです。

(1)この「希望の海」という連作短編集は、「仙河海叙景」と言う副題が示すように、「仙河海」市(気仙沼市がモデル)の人々の、震災前後の生活と気持ちを描いたものである。勿論架空の人物達である。
(2)それぞれの短編は独立していて、話は、一話完結である。しかし、ある短編の登場人物は、別な短編や長編の主人公であったり、チョイ役で出たりと言う作りである。「あれ、何の話で出てたっけな」、と思うことがたびたびあった。人を覚えることの苦手な私にとって、苦手なタイプの小説である。仙河海市群像小説と言っていいのかもねえ。しかし、登場人物=老若男女全てに共通するものがある。東日本大震災に翻弄される運命である。
(3)この短編集では、震災のその時は描かれていない。それ以前とそれ以後だけである。それ以前とそれ以後により、「それ」を描いていると言っていいのかもしれない。
(4)短編は、震災を別にしても、それぞれ響き合っている感じを受ける。震災と言う共通運命を別にしても、小さい町故、人と人のつながりがあるからである。いや、そればかりではないな。なにかある、何だろう。分からない。

以下ネタばれ注意
(5)「永遠(とわ)なる湊(みなと)」

菊田清子は、現在独り暮らし。息子と娘があり、それぞれ東京と名古屋で有名な会社で、それなりの地位を占めている.彼女の悩みは、認知症グループホームに入所している夫のことだ。しばしば徘徊して騒ぎを起こす。も一つは、自分の将来の身の振り方である。80を過ぎた自分を心配して、東京の息子は、同居しようと誘ってくれている。自分が東京へ行けば、夫はどうなるか。先祖伝来のお墓はどうなるか、都会で暮らしていけるのか、悩みは尽きない。そんな時、孫の玲奈から電話が来る。就職前に、も一度仙河海を訪れたいと言う。「明日行きたい」という。玲奈は、優しい孫だ。小さいころから、仙河海を好いていた。翌朝、グループホームから電話が来る。夫が行方不明と言う。清子は、孫の食べ物の用意をしながら、夫を捜す。夫は、自分が生まれ育った家のあった場所にしゃがんで、海を見ていた。カツオ漁師だった夫である。清子は、この夫を見て、夫が生きてるうちは、東京にはいかないと決心する。

長々とあらすじを書いた。あらすじを紹介しても面白くない。しかし、この最後の場面が、実に美しい。認知症の夫は、普段、清子を昔の恋人と取り違えているが、この場面では、清子を清子と認識する。実にいいなあ。いい。萩原浩の「明日の記憶」の、最後の場面を思い出させる。そうして、この清子と夫の時が、2011年3月11日午前なのである。尚、この連作短編の最後「希望のランナー」で、清子は生きのびたことがわかる。夫や孫はどうなったか。

(6)「ラッツォクの灯」
震災二年目の夏、高校生の翔平は、両親を津波に奪われて、小6の妹瑞希仮設住宅に住む。彼は夏休み、自分と妹の生活のため、無理してバイトをしている。その無理もあり、GFの幸子との仲もきしむ。一番の心配は、妹である。青白い顔で食も細い。外出を嫌い、いつも友達の葉月と図書館にいるようだ。そんな時、妹が「うちでも今年はラッツォク焚こうよ」と言う。ラッツォクとは、平安時代の蝋燭の読みが転訛したものらしい。お盆の迎え火・送り火である。

家のあった跡地で、翔平は、瑞希送り火のラッツォクを焚いている。瑞希は言う。「お父さんとお母さん、帰って行ったよ。また来るねと言って」瑞希には、本当に親父とお袋が見えているのかも知れなかった。

瑞希は言う。「お兄ちゃんさ。私が死んでるの、知ってるんでしょう?」・・・。ガーン。ガーン。そう言うことか。
津波で死んだ妹が、生き残ったお兄ちゃんを心配して、まだこの世に残っているのであった。・・・この後の兄妹の会話は、あまりに切なく、あまりにもあまりにも温かい。この妹は、この連作短編の一つ「リベンジ」の中で、虐められている男の子と彼を好きな女の子葉月の仲立ちをする。瑞希が小4の時の話である。
葉月も大津波で死んでいることが、この「ラッツォクの灯」で、さりげなく明かされる。

浅田次郎の、優しい幽霊たちの話(たとえば、「鉄道員」「盂蘭盆会」)を思い出す。いい小説を読んだ。

(上文、一か所訂正) 清子の夫は、低体温症でなくなっていた(「希望のランナー」)