「早く逝ってね」/残念な「建国記念日」

NHK+で、「別れのホスピタル」第二回を見た。(ホスピタルが正確)

進んだ認知症や癌の人達とその世話をする医師・看護師・介護士の話しである。

 

「透明なゆりかご」と同じ原作者と脚本家で、期待して見てたが、話があちこちで、どうも訴える力が弱いと思った。

 

印象に残った言葉は、臨終の夫に対しての、妻の「早く逝ってね」という耳元での囁きである。この女性、19歳の時、夫の「君しかいない」(不正確)という言葉で結婚し、52年生活してきたが、夫は、自分を優先する人で、妻のことなんか考えてなかった人間という設定である。妻は、「夫は、私を自分の手足のように思っている」という。

そういう男もいると思う。

 

夫の認知症も進み、介護生活が長くなって、ホスピタルに入所。夫は、介護士のいう事を聞かず、妻を呼び続ける。妻が世話するとうまくいく。

 

臨終時には、妻は、自分を呼ぶ夫を無視し続け、とうとう最後が、「早く逝ってね」。

 

妻は、「夫を憎んでたのかもしれない」という。であれば、「早く逝ってね」は当然である。

 

私はこの話で驚かない。そういう妻もいるだろう。いやいやながら結婚生活を続けた夫婦もあるだろう。現代の若者の「比較的簡単に離婚する」、というのが、自然にあった生活なんだろうね。いやいやながらより、新しい出発のほうがいい。ただ、子供のことは、うまくやらないとね。

 

「家族は泥沼、それを愛ともいう」という医師の言葉がある。まあ、そういう事もあるだろう。このドラマのテーマは、どうやら家族らしい。

 

話は変わる。

一昨晩、少しがっかりしたことがあった。

私の好きな島田雅彦の「時々、慈父になる」を読んでいて、「建国記念日」と言っていたことである。

 

その部分。

>ミクロ(長男)の出産予定日は、アメリカ独立記念の7月4日だったが、できればこの日を避けてほしかった。というのは、母親の誕生日が2月11日の建国記念日、旧紀元節なので、母と子相和して日米同盟を寿ぎ、自分だけ仲間外れにされるようで気に食わなかったのだ<

あれれ、今日の、肉類をよく買っているスーパーのチラシにも建国記念日とある。

スーパーはしょうがない。しかし、全方位に博覧強記の島田雅彦、シッカリ書いておくれよ。

 

私は、前にもブログに書いたが、「建国記念日」と「建国記念の日」は大いに違って、それは、重要なことと思っているからだ。「の」、には制定の歴史が刻まれていると思うからだ。「の」には、戦後民主主義を壊そうとする自民党に対する、それを守ろうとする人々の戦いと思いが込められていると思うからだ。

 

2月11日は、戦前は、紀元節。紀元つまり日本国の始まりとして祝ってた。国の始まりって何?米国が英国から独立したように、日本が中国から独立?いいえ。明治政府が、
歴史を研究して、紀元前660年2月11日に初代天皇が、即位した日と決めた。

 

なんで天皇が即位した日が日本の始まり?日本列島に初めて人が足を踏みいれた時じゃないの?どういうのが日本のはじまり?まあそれは置くとして、

 

昭和15年(1940年)は、660+1940(西暦)=2600年で、盛大にお祝いをしたらしい。

この年正式採用になった海軍戦闘機が零(れい)戦=ゼロ戦。2601年に採用されたのが一式陸上攻撃機。まあそんなことはどうでもいい。

 

 

ところが、紀元660年に初代天皇即位、これが真っ赤な嘘なんだなあ。卑弥呼だって紀元3世紀。それから1000年近く前に、天皇いるわけないべさ。現在の小学生も知ってるよ。紀元前660年は、縄文時代って。

 

ところがところが、戦前は、この嘘をもとに紀元節としてお祝いしてた。なんせ、大日本帝国は、万世一系天皇これを統治す(明治憲法第一條)天皇主権を正当化するためのでっち上げの嘘が紀元節。今で言えば、フェイク。

 

当然、戦後は紀元節廃止。嘘だから。

 

ところがところがところが、これを復活させようという連中がいた。自民党である。

1960年代後半だっけかな。敗戦後20年もたったんだから、そろそろいいべという事で、

しかし、さすがに紀元節はまずいので、2月11日を建国記念日にしようと画策した。

 

それに大反対したのが、学者連中、キリスト教団体、社会党共産党。知ってる国民も反対した。

 

そこで紀元節とは違いますよ、2月11日は、建国記念日ではなく、建国を記念する日ですよ、という事で、建国を記念する日、即ち建国記念の日として、反対する非国民どもを抑え込んだ。(それだったら、別にほかの日でもいいんじゃない。1月1日とか8月15日とか、5月3日とか)

 

 

まあ、嘘に基づいた祝日ですな。そっかー、自民党、うそつきはDNAなんだね。近頃有名な人いたなあ、嘘つきで。国会で虚偽答弁をさんざんやり、その数を数えられた人が。

 

そういや、ごく最近、もらったお金、記載してませんでした、忘れましたなんて言う国会議員いるけど、それ、嘘なんでしょ。えー、ほんとなの?そんな忘れっぽい人、法律作っていいの?

 

そういや、自民党は忘れっぽいよね。長い間集団的自衛権は行使できませんって言ってたのに、

あ、なんとかいう虚偽答弁王が、いや出来ますって言った途端。即、みんなできる出来るって唱和して・・・法律作っちゃった。ノーミソあるんだろうか?派閥の中には、それおかしい!ていう派閥ないのかい。今までできないって言ったのに。できないという人、誰もいないの、変でしょ。

 

あそうか、派閥って政策集団じゃなく、金あさりと地位あさりの集団だからいいのか。

 

それにしても、自民党。戦後の民主主義を一生懸命壊してきたね。自治体警察廃止、教育委員会公選制廃止、紀元節復活、君が代国歌法、教育基本法改正、特定秘密保護法・・。

 

自由と民主主義が嫌いな自民党。あれ、自民党って、不自由民主党の略だっけ、そんなら、まあいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翡翠/脱税

鮮やかな濃い緑かブルーの色がよぎった。

翡翠である。なんと私の前5mのコンクリの川岸に留った。

しばらく見ていると、「ちちち」と鳴いて、JRの鉄橋の桁へとんだ。

翡翠を見るのは久しぶりである。鳴き声を聞いたのは、初めてである。

あ、桁から川へ一直線に飛び込んだ。魚を獲ったか?口には何もない。失敗である。

バーリングをして、川原の石の上に飛び乗った。ところが、白と黒の、翡翠より少し大きい小鳥2羽が、なわばりなのであろうか、追い出しにかかり、翡翠下流へ飛んでいった。

 

昨年夏、キツネを見た川原である。

 

いやいや美しいものを見た。ホバーリングも初めて見た。

 

家に帰って、朝ご飯を食べ、孫の登園を見送って、しょうがないと作り始めた。

作ったのは、これである。

相馬のスタンディング仲間も、原町の仲間も、誰も裏金について書いてこない。

その気持ちはわかる。どうせ自民党なんて自分の金の為政治やってんだから、裏金なんて驚くに当たらず、という気持ちだ。俺もその気持ちはわかる。国民の中にもそういう人はいるだろう。

 

しかし、これは、怒らなくちゃ。

 

そこで仕方なく、作った。

 

近頃ようやく、「裏金って脱税になるのでは」という意見が多くなってきた。

政治に使う金は、非課税なのだそうだ。それはまあ、いい。ならば、何に使ったかを領収書を添えて出さねばならない。ところが、自民党。あ、書き忘れてました。あ、もらってました。使い道わかりません。忘れました。領収書捨てました。・・・ほんとに政治活動に使ったの?ならなぜ隠しといたの?

 

会社だって、組合だって、PTAだって、同級会だって、皆領収書で、その支出が、目的にあっているかどうか証明する。政治はその例外?馬鹿言うな。俺には脱税に見えるがなあ。

 

みんな怒れ、そして忘れるな。

 

という事で、原町のスタンディングに行ってきた。

私を含めて5名。いつもと違う場所である。いつもの場所は、水道工事で立てない。私は対角線反対側で一人で立った。ひとりだけ黙礼していった車があった。ひとりでも、うれしい。

 

原町からの帰りに、畑に回って、玉ねぎに肥料をくれた。あとは4月に施肥

ジャガイモの種芋がもう出回っている。畑を準備せねばならない。今日は雪が溶けたが畑はぬかるむ。

 

1昨日、雪だるまを作った。孫も手伝った。それが昨日は、もう形がない。

昨年も同じころ雪だるまを作った。消えた時、孫は大泣きした。、今年は全然泣かない。進歩したんだ。

 

約30年前、金がらみの不祥事から、政治資金規正法改正、政党助成金小選挙区制などの政治改革をした。それがこの裏金つくり。進歩がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男も女も見るべきドラマ(4)「透明なゆりかご」(9から10)/やられたNHKに

第9回 「透明な子」(ネタバレ)

10歳の亜美は、父親から性暴力を継続的に受けていた。母親は離婚し、現在の夫と再婚した。アオイは、図書館で亜美を知っていた。

その再婚相手の男から、亜美は、性暴力を受ける。

 

産院側は、その亜美に最大限配慮して接触する。例えば、産婦の付きそいの男性に廊下に出ないようにとお願いするなど。

 

由比医師も、男性なので直接接触はしない。病院で女医を探したが中々見つからない。最後は県立医大の女医にお願いした。アオイも知り合いだが接触しない。

 

亜美は、一言もしゃべらない。水もまともに飲めない状態である。勿論犯人の名前も言わない。

 

その亜美の心を溶かしたのは、その産院で生まれた赤ちゃんである。

産声が聞こえる。亜美は病室を飛び出す。そこにいるのは、付き添いの男とアオイ。

亜美は言う。弱弱しく「あか・・」アオイ「赤ちゃん?赤ちゃん見たいの」

 

屋上で、亜美とアオイは、話す。

亜美「嫌だった。みんなこんなことしてないでしょ」

アオイ「うん。ほとんどはいい大人なんだけど、ごく少し、悪い大人がいる」

亜美「・・お父さんなの。娘だったらこんなことするのは当然と言われた」

亜美「お母さんは、離婚して新しいお父さんが出来て笑うようになった。そのお母さんを悲しませたくなくって、言えなかった」

 

なんという事だ。

前の父親は、暴力をふるい、新しい父親は連れ子に性的暴行。こういう男たちは、死んだ方がいい。

 

息子に自殺していいかと聞かれて、「女を襲いたくなったら自殺しなさい」と言ったのは誰だっけかな。

 

母親が、娘を抱いて「ごめん、許して」と泣きあう場面で、私はひどくイラついた。泣いてる場合でないだろう。包丁持って夫を殺しに行かねばならぬ場面だろう。

 

その後、

医師に「ないことにできますか」と聞かれ、母親「できません。絶対、ない事にはできません。許せません」と言ったので、ほっとした。それにしても、あの男シラーッと、「こんな犯人は、のさばらせてはおけません」なんて医師と母親の前で言っていた。

 

現代でも、シラーと、逆告訴している奴いないか。

 

母親を動かしたのは、女医さんだ。「あなたが一人で娘さんを支えるのは難しい。心も体も傷ついています。あなたを支える人はいます。少なくとも私はあなたを支えます」

警察へは、母親とこの女医さんが付きそう。

 

性暴力には、その被害者に寄り添う人が絶対必要だ。

 

ところで、重要な亜美の告白の場面で、私には理解できないことがあった。なぜしゃべらなかった亜美が、アオイに秘密を打ち明けたか。その要因に、アオイの「人の気持ちがわからない」という事があると言っている所だ。アオイの「私は人の気持ちがわからない、気持ちを聞かせて」という言葉でなぜ亜美は告白する気になったんだろう。

 

第10回 最終回 「7日間の命」

私は、放映された5年前、このドラマシリーズの最終回だけみた。泣けて仕方なかったドラマだ。ブログにも書いた。

参照:

 

a0153.hatenablog.com

 

今回、すべてを見た。 やはりこの最終回が一番胸を打つ。

 

感想は、前のブログを超えないが、せっかく見たので備忘の為、印象的な場面を書いておく。私は、このドラマのこの回は、忘れたくないのである

 

妊娠した赤ちゃんは、心臓に欠陥(一心房一心室)肝臓にも異常があり、妊娠中は親から栄養と酸素をもらい大丈夫だが、誕生すると自分の肺と心臓で生きねばならず、生存が難しい。

中絶か妊娠続行か

夫「先生、あきらめる選択もできるんでしょう。俺たちは若い、またできるさ」

妻「この子はこの子、工場で作るものじゃないでしょ」

初めての胎動

妻「動いた、動いてる、なんだろう」

医師「自分ではないものが生きてるという自覚が生まれ、母親になりつつあるんです」

夫(中絶すると)「俺は何も残らないまま、忘れて涼しい顔で生きていくだろう」

 

海で、一歳ごろの幼児・両親を見て

妻「私達もあんな風になれるかなあ」

望月看護師「お腹の中にいる時は、お母さんから栄養をもらって・・・」

妻「わかってる、なれないって。・・・こんなに普通なのに、ずっとお腹にいてくれたらいいのに」

お腹の子に名前を付ける。友也である。

 

積極的治療(手術等)か看取りか

夫「治療をしよう、そのため医大の近くに引っ越しする」

妻「治療は、この子のためになるのかなあ、今お腹で守られている。安心していられ  

  る。治療をするのは、怖くてさみしい思いをする。何もせず看取ってあげるのも

  ・・・」

夫「なに言ってんだ。・・・俺たちでは決められない。死なせるかどうかなんて俺た

  ちで決められない、先生決めてくれ」

先生「お二人で決めてください。お二人の責任で」

夫、立ち上がって「言わないのは卑怯だろ」

先生「・・・治療すべきです。ただ私が医者だからこういうのです。医者は公平な治療

   を目指します。しかしご家族はたった一人のことを考えてください。回りの事な

   んて考える必要ありません」

 

結局、家族は、看取りを選ぶ。

物心ついたころ、妻の母は、重い病気で無菌室にいた。幼い妻は、母に触りたかった。

カーテンに隔てられたその母は、子供を抱っこしたかった。できなくて死んでいった。妻は、何かで隔てられての別れはもう嫌と思う。これが大きかったのだと思う。

 

出産の時、妻(友也の母親)は、このままの別れはさせないで下さいと叫ぶ。無事出産。

 

別れの時

婦長が言う「先生、○○が下がってます。○○増やしましょうか」

先生は、静かに首を振る。そして言う。「チューブを外してください」チューブが外される。先生「あと数分で呼吸が止まります。心臓が動かなくなります。最後の時を大事にしてください」

婦長「ママに抱っこしてもらいましょうね

2人は、母親に抱っこされた友也の頭をなでながら、号泣しながら、

母親「友也、ずーっと思っているよ。お前はずーと一緒だよ。私達を忘れないでね」

父親「可愛いい、可愛いい。幸せにしてあげたかった。ごめんね。ごめんね」

 

そして亡くなった

アオイ「最後にお風呂に入れて、友也君よかったじゃにですか」

母親「自己満足よ。友也は、一日でも長く生きていたかったのかもしれない。私は逃げ

   たのよ」

アオイ「相手の気持ちがわからないのは苦しい。でも相手の気持ちなんて絶対わからな

    い」

アオイ「私、母親に抱かれてうれしかった。子供が母親にしてもらいたいことの一番の事って抱っこぐらいじゃないのかな」

母親「お母さん、(天国で)私の代わりに友也をいっぱいいっぱい抱っこしてね

 

この10回のひどく重い連続ドラマの実質的終わりは、アオイの独白で終わる。

産院は、消える命と生まれる命の交差するところ。みんな、透明な子じゃなかった。

最後の最後は、アオイが、この産院に就職を希望するところで終わる。

 

長い記述となりました。昨年の「うみよ眠れ」と違い、作り話ですが、私にとって、

忘れられないものとなりました。最初は、女性の大変さを知らない男性が見たらいいと思ったのですが、一人の女性の人生にも、女性にもいろいろあると思いますので、女性も見た方がいいと思って、題名を替えました。

 

(追加)

どうでもいいことだけど、

アオイの言葉が「子供が母親にしてもらいたい一番の事って抱っこぐらいじゃないのか」なのか、それとも「子供が母親にしてもらいたいのは、抱っこでしょう」か、疑問に思った。

ホントは、なんと言っているのか、気になっても一度見たいと思った。

朝4時、NHKプラスを見たが、もうすでになかった。あと二日という表示をいつ見たのか、分からない。NHKプラスは、一週間しかUPしてない。

 

その代わりに、「別れのホスピス」とかいう(題名不正確)ドラマを見た。末期がん・高度の認知症患者などを扱う看護師の話しであった。最初に同室の女性高齢者3人が次々に死ぬ、次に、最初に出会ったがん患者が自殺する。看護師の生活(母と引きこもりの暴力的妹)が描かれる。大変そうな話だ。でもつくりがなんとなく「透明なゆりかご」に似てるなと思って、エンドロールを再確認したら、原作と脚本家が多分同じだ。。原作は間違いない。○○×華とあったので。×華なんて珍しいから。

 

そこで、俺は気が付いた。

「透明なゆりかご」を今回連続して放映(深夜)したのは、この新しい番組の番宣だと。やられた、NHKに。「ゆりかご」は、人の誕生で今度のは、人の死か。こちらも気が重そうな話。しかし73の俺には身近。近い将来の話しだ。そして全員100%行きつくゴールだ。みようかな。少なくともも一度は見ようかな。NHK+で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男も女も見るべきドラマ(3)「透明なゆりかご」(7~8)

第7回 小さな手帳(ここもネタバレです)

小さな手帳とは、母子手帳のことである。

 

この回では、ここまでの語り部・アオイ自身の事と彼女の幼なじみミカのことが、紹介される。

 

始まりは、妊娠したミカの登場である。彼氏とけんかして追い出されて、行くところがなく、産院に来た。産院の厚意で出産まで入院することになる。

ミカの左頬には大きな傷がある。

幼なじみのアオイは、その頬の傷におもいいたる。

小学4年の時アオイは、学校でいじめられているミカを助ける。仲良くなってミカが大事にしてる母子手帳を見せられる。

ミカのうちに行くと、ミカは、母親に無視され、虐待されている。

母親が再婚して、ミカは連れ子となり、邪魔にされる。新しい夫との間に子(弟)ができるとそれがエスカレートする。母子手帳も取り上げられた。

 

ある時、弟がミカの大事にしてたもの(絵かな)をはさみで切っている。それをミカは阻止しようとする。そして母親ともめ、頬に大きな傷がつく。その後母親とはあってない。母が彼女を養護施設に入れたのである。

養護施設にいるうち、ミカは、彼氏と出会い、妊娠する。施設には黙っている。彼氏と喧嘩したミカは死のうかと思う。そこへ、実母が死んだとの知らせがあり、母親の荷物が届く。

そこには、母に取り上げられたボロボロの母子手帳があった。母子手帳には、生まれたばかりのミカへの、母親の降り注ぐ、あふれる愛があった。

 

彼女は、生きようと思う。

 

ミカが母子手帳をアオイに見せたころ、アオイは、母子手帳を見ることができない。そして、18歳の今でもできない。

 

アオイは、現在でも母親に嫌われていると思っている。アオイは変な行動をとる。例えば、ミカの隠された靴を探しにプールに飛び込む。そして見つけてきたつぶれたバレーボールを、「使える」といい張る。勉強もかなり遅れている。何かに気をとられると没入する。

 

母親は、「この子おかしい、こんな子、私の子なの、どうしてこんなこともできないの、なぜ約束を守れないの」などという。

 

母親は、心では、アオイをまともに育てられない自分をも責めていたのである。

 

アオイはふつうの子と違う。それはそのはずである。

 

注意欠陥多動性障害という病気だったのだ。高校時代、医師に診てもらって分かった。

 

アオイは、ミカに再会し、出産した彼女が一生懸命母子手帳を書いてるのを見て、初めて自分の母子手帳を見る。

 

ミカは言う。「今はこの子とてもかわいいけど、いつかこの気持ち忘れてしまうかもしれないから、残しておきたい」と。

 

夜中、恐らく不安にさいなまれながら、アオイは、自分の母子手帳を見る。

そこには、生まれたばかりのアオイに対する、母親のあふれる愛情があった。

 

アオイの独白で、この回は終わる。

「純粋な愛が続かない場合がある。形が変わる場合もある。でもほんの一瞬でも

世界中の誰よりも愛されたというあかしがあれば、生きていける。そしていつか誰かを愛することもできると思う」

 

 

 

このドラマを見て、注意欠陥多動性障害で看護師ができるんだろうか、という疑問を持った。危険じゃないのか?薬は飲んでいるけれども、大丈夫か。そう思うのは俺の偏見か。差別なのか?私にはわからない。ドラマでは、アオイは優秀な看護師である。見習いだけれどもね。この病気の名前が仰々しくてまずいのかな。まずは事実を知る必要があると思った。

 

このドラマを見て、母子手帳ってとても大事なものと思った。

 

皆さんは自分の母子手帳を持っているでしょうか。私は今持ってません。小学校の頃でしょうか、見た記憶があります。母が見せてくれました。生まれた時の身長・体重・生まれた場所・血液型・日時などしか書かれてませんでした。忙しくて気持ちを書く余裕なんてなかったに違いありません。その後見た記憶はありません。あの手帳はどこへ行ったのか、まったくわかりません。

 

でも愛された記憶は残っています。それは主に母親の話しの中で感じました。

 

私が歩いた最初の日のこと。母が歌を歌うと背中で歌ったこと。私がセリが好きな理由。もらい乳。

はいはいして、囲炉裏に落ちて、頭に大やけどをしたこと(今も禿として残ってます)

少し離れたお店の女主人に「あれ、この子(私)育たないかと思ってた」と言われ、怒ったこと

年長から入った幼稚園が嫌で嫌でしょうがない時、結局は退園を認めてくれたこと

                                  等々

「昔々しきりに思う慈母の恩」(「春風馬堤曲」蕪村)、私の大好きな句です。

 

誰しもごく小さいころ母親に愛されたという記憶があると思います。直接でなくても、親の話しの中でも。

このドラマで言うように、愛された記憶は生きる糧です。

第一、今生きていることは、愛された証拠だと思います。最低限、少なくとも中絶されませんでした。

 

第8回 妊婦たちの不安(ネタバレ)

この回の主人公は、望月看護師。

彼女は、医師・婦長と並んでこの医院の中心的存在である。能力が高く、仕事もてきぱきする。心配りも十分である。気も強い。経験も豊富である。

 

彼女は、子供を欲しいと思っている。そして待望の妊娠。

 

ところが、そこから思いがけない彼女の苦悩が始まる。

 

まずは、体の不調。つわりがひどい。自信と誇りのある彼女は、今まで通りに働こうとする。しかし、体が利かない。考えられない失敗もする。頑張りたいけど頑張れない。

 

また、彼女は、子どもを生んだ後、子育ての為に夜勤は出来ないと悩む。夜勤ができない看護師は、産科の看護師としては、役立たない、それでもこの仕事が好きだ。どうすればいいと悩む。助産師の資格も取りたいのに、と悩む

 

婦長は言う。「夜勤が出来なくとも十分役立つ、あなたは、産むことを選んだ」

医師は言う。「私から産科医の仕事を取ったら何もない、仕事は大事と分かる、でも産むと決めたら選択の余地はありません。休暇を取って下さい」

 

キャリアウーマンの中森さんも、プロジェクトから外されたと悔しがる。でもつわりで苦しむ。

 

ここには、産むことと仕事やキャリアアップのギャップという問題がある。どれほどの女性が、産むことで仕事やキャリアを諦めただろう。きっと多いんだろうな。それは、社会全体から見れば、損失だろうな。

 

夫との諍いも生じる。優しい夫なんだけど、やはり妊娠や出産については、無理解なのだ。男と女の大きな違いがここにはある。

男の産科医の由比も言う。

「男には子宮がありません。産科医の私には、体の仕組みや生理や病気のことはわかります。しかし妊産婦の深い心まではわかりません、女医の、「女だからわかる」で、す通りすることも、勉強して分かろうと努力しています」

 

望月看護婦の「(夫に対して)ただ甘えたいだけなのに」という、夫に言えなかった言葉が、ヒントかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男性が見るべきドラマ(2)「透明なゆりかご」(5~6)

昨日に続き4時から起きてみています。内容と感想の続きです。ネタバレですが、これは再放送、しかもNHKプラスでもあと少々で終了ですので、ネタバレもよしとします。

少しでも多くの人に知ってもらいたいと思うからです。1~4回まではもう見ることができません。

 

第5回 「14歳の妊娠」

ユーモラスなつくりの中に、人間の温かさが感じられる傑作です。この作品は、医業のあり方まで問うています。

 

産科医・由比(この医院の医師)は、9年前、14歳の中学生の妊娠に遭遇します。その時彼は、大学病院の医師です。由比は、教授や多くの医師と違い「妊産婦にできるだけ寄り添う医師」を目指します。由比は、母子の人生までかかわりたいと思う医師です。

しかし、教授は言います。「一人の患者に多くの時間を費やすのは良くない。短い時間で相手をすればそれだけ、君の診察を受けられる人が多くなる。その方が医師として社会に貢献できる」と。

 

どちらだろう、これは難しい。由比は、自分の方針で開業します。由比が信頼する看護婦も婦長として、由比先生の開業についてきます。由比先生の方針に全面的には賛成してませんけどもついていきます。婦長は、「出産した女性のその後の人生にまでかかわるなんてムリ」と思ってます。

 

話を中絶に戻します。

母親・父親は勿論、仲間の医師は、14歳の中絶に賛成します。由比医師の教授も多分そうです。由比は、迷います。どちらかと言えば中絶の方向が正しいと思っているようです。そうですよね、14歳なんですもの。

 

ところが、この女性は、中絶を拒絶します。この女性は言います。

「お母さんは言うでしょ、一生懸命勉強して仕事を得て、愛し合って結婚して家庭を作るのよって。・・・私結婚するの、なお(男の名)さんと」

 

そうだ、この女性は、親世代の言う、幸せな道を歩んでいるんだ。

しかし、明らかに男に騙されているのも明白。

父親は言います。「お前は騙されている、捨てられたんだ」

でもこの女性は、「赤ちゃんは殺された方が幸せだっていうの」、強烈な言葉である

うーん、困った。

結局この女性は子供を産みます。母親が出産を認めるんです。それは、この娘の自立のためです。母親は、「分かった。それだけ言うなら産みなさい」。母親は、娘の経済的支援のため、パートの時間を増やします。そして、過労死してしまいます。

 

9年後、14歳で子を産んだ女性は立派な会社員となって、息子と一緒に由比先生を訪れます。

 

産婦マーちゃんを死なせた(第4回)由比先生は、「できる限り妊産婦を見る」という方針に自信を失っていました。教授の言う通り、分娩は総合病院ですべきかなとも思っています。

 

母子が帰った夜、婦長は言います。「私は、先生に開業時に来てくれないかと言われたとき、まったく迷いませんでした。それは正しかった。先生のようにやっていると、今日のようなうれしい日もあるんですもの」

由比先生「迷ってしまってごめん」

 

第6回 「いつか望んだとき」

主人公は、二人の女性です。

1人は、18歳の不良少女風の女性はるみ。この子は、中絶2回目。お金がないので、3万円で堕胎をしてくれる医者の所に行く。丘の上のへき地みたいなところだ。偶然からアオイは、この子の付きそい人になる。医師は、奥さんと二人で開業(但し看板も出してない)している。この医師は、無責任な妊娠は悪いなんて説教がましいことは、何も言わない。

 

医師の夫婦は、付き添いのアオイにもはるみにも優しい。「おにぎり食べろ、どら焼き食べろ」という。手術の終わったはるみを布団に寝かせて「寝たいだけ寝かせておけ」

という。帰りには、お金のないはるみに、バス代と言って小遣いをくれる。医師の奥さんは言う。「ほんとはお金なんて取りたくないけど、それって違法と言われるからね」

そして別れ際にいう。

「何かあったらまたおいで」!!

 

アオイは医師に聞く。「そんな安い費用で、しかも事情を聴かないで手術するなんて、同意書もなく手術するなんて、気軽に中絶する人が増えるじゃないですか」

医師は言う。「あの手術代台に登って掻把する。も一度やりたいと思う人いるかい

奥様が言う。「もっと女の人が生きやすい世の中になればいいのに

 

そうなんだ、中絶する人にはやむに已まれぬ事情がある。女性が生きにくい社会がある。

このはるみの場合、母親との仲たがいがあり、男にひどい事されてボロボロになった自分を汚いものを見るような目で母親は見たという。

 

はるみは言う「またおいでなんて言われると、絶対こないと思うんだけどね」。

 

番組のおしまいの方で、この医師の夫妻の行動の事情が明かされる。

 

<回想シーン>

ハンケチを忘れた女子高校生は、それを彼女に返そうと医師が医院を出た時、がけから飛び降りた。

 

医師は言う。「あの時事情も聴かず、説教もせず、中絶手術してやればよかった。きれいにして帰せば、死ぬことはなかった

2人は、ハンケチを台において、線香をあげている。

奥様、「あれからもう20年ですよ」

 

この医師夫妻が、この話の主人公かな。

 

も一人は、お腹の中の赤ちゃんがそだってないあきさん。夫と二人で、中絶の相談に来た。

あきは言う。「私、離婚しようかな。やっとできた赤ちゃんなのに、この人は、

俺の子かい、という。姑に子供を作れとさんざん言われて、やっとできた赤ちゃんなのに、そして育ってない赤ちゃん、もう耐えられない」

 

実は、この夫は、精子が少ない体質で、子ができにくい。だから夫は、できたので、「俺の子かな」と言ったわけだ。

離婚届を持ってきた夫は、「あきは頑張ってる。俺はあきを幸せにできない。だから男がいても仕方ないと思った。もう、あきを自由にした方がいいかな」という。

ここには、双方の誤解がある。

子供をつくらなきゃというプレッシャーが誤解を生んだと思う。

 

子どもを持つかどうかなんて各人の自由だ。結婚するかなんてのも各人の自由だ。その結果少子化社会・少子高齢化社会になってもしょうがない、と俺は思う。

 

この第6回は、現代日本の何かを告発しているように思う。

 

上に紹介した以外でも、登場人物は、心に響く言葉を残している。

望月看護婦「女だから産まなきゃじゃなくて、産みたいな、だよね」

はるみ「私も馬鹿だけどさ、赤ちゃんも馬鹿だよね。産めない私のところに来ないで、産める人のところにくればいいのにさ」

アオイ「中絶される赤ちゃんも、何かメッセージを残してるようにおもう」

由比医師「中絶手術は、いつか望んだとき出産できるようにするためのものと考えています。中絶も分娩もどちらも新しい命を迎える仕事と考えています。」

 

ずいぶん長くなりました。私の頭も混乱しました。7回と8回は、次に回します。この二つは、NHK+から今日消えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男が見るべきドラマー「透明なゆりかご」(1~4)感想文

NHKプラスで「透明なゆりかご」を見ています。朝4時前後に目を覚まし、この連続ドラマを見ています。今朝第1回から第4回を急いでみました(2回目)。急いだのは、この回が、終了まじかだからです。NHKプラスは、一週間しか放映しません。

 

内容と感想を述べます。

看護科の高校三年生の主人公青田アオイ(清原果耶)が、産婦人科へバイトに行き、いろんな体験をします。そしていろんな命のあり方が描写されます。

 

第一回  「命のかけら」

アオイは、まず人工妊娠中絶(堕胎)シーンを体験します。そしてその処理を任せられます。ホルマリン漬けにして業者に渡すのです。

その日は、出産もあります。ところが出産した女性は、赤ちゃんを触ろうとも見ようとしません。相手は妻子のある男。不倫の子だったんです。15年も騙されてました。女性は一時産院を抜け出しもします。その女性が、わが子をはじめて抱くシーンが感動的です。わが子に指を握られて

その女性は、幸せな退院をしますが、わが子を窒息死させます。男のもとに戻ったといううわさがあります。事故か虐待か真相は明かされません。

 

第2回 「母性って何」

二つの出産が描かれます。

一つは、女子高校生が自宅の浴室で出産し、産院前に捨て子をしたケース。

この子を拾ったのが主人公のアオイ。アオイは、この子の面倒を必死に見ます。しかし、女子高生と親が引き取りに来ます。女子高生は、「こんな子いらない」と拒絶します。結局は、親が自分たちの子供として育てます。アオイは、女子高生に文句を言いに行きますが、考えなおします。どんな思いで子を育て産んで捨てたかを想像するからです。女子高生がどうしてこの産院前に捨てたか、それは第4回の伏線になります。

 

もひとつは、重度の一型糖尿病の女性です。彼女の場合、中絶を家族にも医師にも勧められますが、夫・親を説得し出産します。彼女は言います。「初め、家族に普段迷惑ばかりかけているので、子供を産むことによって、自分を認めてもらいたいというエゴがあった。しかし、妊娠すると産みたいと体が叫びだす」と言いました。

 

第1回と第2回は、とても重要なことを表現しながら、まとまりに欠けると思います。

でも、強烈に何かを訴えます。

 

第3回 「不機嫌な妊婦」

アオイを初め、接する看護婦や医師に敵対的な言動をする不機嫌な妊婦・阿部が主人公です。ユーモラスな描写もあります。

しかし内容はシリアスです。この妊婦の夫が、他の病院で、盲腸手術の全身麻酔の為、植物人間になっているのです。病院側・医師に過失はありません。

この怒りを彼女は、アオイの産院で爆発させます。彼女は、医師・看護士・病院に強い不信感を持っています。嘘をついていると思っています。

 

夫の命があと数週間となった時、彼女は医師に出産を要求します。夫に見せるためです。月満たぬため、医師は拒否します。数週間後、彼女は出産します。

 

一生懸命なアオイに、少し心を開いた彼女は、アオイに聞きます。

阿部「意識をなくした夫にも声は聞こえるかと」

アオイ「自分の勉強の範囲だと低酸素症で自発呼吸のない人には、声も聞こえない」

阿部「あんた馬鹿ね!そういう時は嘘でも声は聞こえるというんだよ」

阿部「でもいいわ、あんたが嘘はつかないとわかったから

実に救われる場面です

 

彼女の夫は、死にます。最後はアオイの想像でドラマは終わります。

あと数分で心臓が止まると宣告された夫の耳のそばに、彼女は赤ちゃんを手を添えて置きます。赤ちゃんは大声で泣きます。夫の目から涙が一滴落ちます。

アオイは心で言います。「聞こえていたと阿部さんには信じてほしい」と。

私もまた強く信じます。

この臨終の夫にも、激しく泣くわが子の声は聞こえていたと。

 

第4回 「産科の危機」

塗装工の夫と6歳年上の妻の幸せな夫婦が、産院で子を産んだ。この二人はどちらも

善良な人間だ。幸せな出産。ところが、大暗転する。産婦が出血死亡するのだ。医師にも緊急搬送された大病院にも落ち度はない。

しかし、・・・

夫は怒り狂う。当たり前だ。医師に「お前が殺した」と詰めよる。彼は刑事告訴する。しかし、2か月後告訴を取り下げる。どうして?

アオイは偶然、この不幸な夫とコンビニで会う。夫は疲れ果てていた。

アオイ「あんなに怒ってたのに、どうして訴えを取り下げたんですか」

彼「赤ん坊の世話でほかのことなんてできない。それにマーちゃん(亡くなった妻)

  は何としても戻ってこない」

彼の口ぶりから、アオイは自殺するのではと誤解する。彼は否定する。

しかし、誤解じゃなかった。

彼は、夜中首つり自殺しようとする。紐の輪に首をかける。しかし、赤ん坊が激しくなく。ミルクを作って「この子が寝たら死のう」。その時、マーちゃんの指示の紙が目に入る。「熱いミルクは、水に入れて」「添い寝しちゃだめ」「お尻は前から後ろに拭く」「疲れたら、泣いてても寝て」「つらいなら泣いてもいいから」「死んじゃダメ」

赤ん坊が彼を見つめる。彼は大泣きし、「この子には俺しかいないのか」。

この場面は、事実かアオイの想像か、わからない。しかし、そんなことはどうでもいい。この塗装工を引き留めたのは、この子と死んだ妻なのは間違いない。

 

産院側には、医師が習った教授の「分娩は総合病院の方がよくないか」という極めて重い課題が残る。

3回と4回は、テーマがはっきりしていてすっきりと作られていると思う。傑作と思う。

あれれ、文体が「です、ます」から「である」に替わっていた。まあ、そんなこともどうでもいい。

男が(も?)見るべきドラマと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻生発言/電気自動車の事

麻生太郎は頭のいい人らしい。

女性の外務大臣に対して、その仕事ぶりを高く評価しながら、「そんなに美しい方とはいえない」とか、「このおばさんやるねえ」とか、セクハラ的発言をしている。根本には、政治は男性のもの、女性の価値は美醜という感覚があるのだろう。その感覚が間違っているのは当然であるし批判されなければならない。

 

しかし私は、なぜ今言うか?に疑問を持った。というのは、自民党(の一部?)議員・派閥の裏金作りに国民の批判が向いている時、別な方へ向けようとして麻生は、わざといった気がするのである。また、麻生は、影のキングメーカーとも聞く。岸田が危うくなり、次の有力な後釜の候補に、この女性外務大臣を据えようかと思っているのかもしれない。または、他の候補への牽制球。少なくとも、国民には注目される、そこを狙っていると思う。

 

とすると、麻生太郎は頭いい!と言えるかもしれない。いや政治的嗅覚がいいと言うべきか。

 

麻生の発言でもっともっと注目すべき発言がある。「中台戦争、あるいは中VS米台戦争が起きた時、それは日本の存立危機事態とみて参戦する」という発言である。

参照:

 

a0153.hatenablog.com

 

これについて国民も国会もマスコミもあまり注目してない。麻生がキングメーカーなら、日本政府の行動も中台戦争に参戦する可能性が高い。こちらをもっと議論しておかねばならない。

・・・・

13年を経過したトヨタプリウスの買い替えを考えている。

その第一候補が、日産の軽電気自動車「さくら」である。地球温暖化の害悪がはっきりしている現在、できるだけ温室効果ガスを出さない生活が望ましい。

 

そう考えての電気自動車である。同乗させてもらった乗り心地もいい。安全装備もいい。見積もりを取った(ナビ・ドラレコその他付き)。312万である。軽とは思えない値段である。しかし、電気自動車である。

 

幸い、我が家は、屋根一体型太陽光発電パネルで10KwHの発電能力を持つ。(最大出力13KWH)新築時に車充電装置(200V)も取り付けてある。計算上、燃費もガソリン車よりはるかに良い。政府の補助金も50万円でる(東京都の場合これ+70万でるそうだ)

 

我ら夫婦、人生最後の大きな買い物という事で電気自動車を買うか?

 

ところがここに大きなブレーキが登場する。

満電の場合の走行距離である。公式には、130㎞~180㎞とあるが、実際は、どうも100㎞ぐらいらしい。

我らもう年老いて青森や秋田・岩手・山形・栃木などに車で行くことはあるまい。しかし、宮城県名取や福島県会津には結構行く。航続距離100㎞では無理である。途中充電しなければならない。それがむずかしい。ガソリンスタンドのように急速充電できるスタンドが少ない。急速充電の値段が高い(標準で言うと、毎月4000円支払いー使っても使わなくともである、一種の会員制か?)

 

これでは二の足を踏む。

そこでやむなく電気自動車を諦めて、軽のハイブリッド車を探している。

 

地球温暖化問題に対処して、電気自動車が主流になるべきで、また世界はなりつつあるように思われる。

 

そのためには、急速充電スタンドが、現在のガソリンスタンのようにならねば、電気自動車は普及しない。この点でも日本は世界に後れを取りそうである。

 

トヨタ系列の不祥事が世の中を騒がせている。その同じ今日の新聞に、トヨタVWを抑えて4年連続世界一の販売台数という情報もある。

 

しかし、いつまでトップを維持できるか。ハイブリッドでは多分勝てた。しかしこれからは、電気自動車にかかっていると思われる。国内では、軽電気自動車。それは、急速充電スタンドの設置にかかっている。