「どう生きたところで私の一生です

すごい小説を読んだという気がした。

乙川優三郎「冬の標」である。

時代は幕末。明世は、比較的裕福な武家の娘。幼いころから絵画に優れ、信頼する師と出会い、絵師として生きる志を持つ。しかし、武家の娘、家の束縛から逃れようもなく、結婚し、子をもうける。婚家でも家のしがらみに縛られ、夫の死や家の没落にもあう。

そんな中でも絵への思いは途切れなかった。20年後、絵への同じ志を持つ修理と愛し合う。修理は、若き日の絵の弟子同士で、現在は妻子を持つ蔵奉行である。

二人は、ある日愛を確かめ合って、二人とも全てを捨て絵に集中することを誓い合う。
しかし、幕末の混乱の中修理は死ぬ。

明世は、一人になり画業に専心することを決心する。師と離れ友と離れ、婚家も捨て子も捨てて。

すごい女性である。自分の生きざまを貫いた。しかも自分の義務は十分果たしたうえでだ。

翻って現代。自由な現代でも自分の義務を果たしつつ、今得た安定を捨てて、自分の思いの通り、自分を投企して行く人間なんているのか。いると思うが少ないだろう。

自分を顧みても、安定から抜け出せない。日常の安心から抜け出せない。

凛とした女の生き方を見た。そういえば、近頃読んだものでは、「八日目の蝉」の前半の女主人公が母性愛から全財産の4千万を捨てたという話も印象にのこった。

いずれも小説だからと言っちゃおしまいだ。現実の俺たちは、日常の安定に束縛されすぎだ。

ところで近頃、本の読み過ぎ、ブログの書きすぎだ。民主党憲法9条改正原案について考えをまとめたら、しばらく休もう。くたびれた。