「解釈変更による集団的自衛権行使容認」を批判する(1)

(1)「安保状況の激化」は、ためにする議論である。

集団的自衛権を行使する背景を、「東アジア安全保障が厳しい状況になった」としているが、これは、集団的自衛権を行使したいがための議論である。

「厳しい状況になった」のではなく、日本政府も自ら「東アジアの安全保障を厳しく」している。

確かに、中国の経済力を基礎としたと軍事力は、強大化している。そして日本の関係でいえば尖閣諸島の領有権で対立がある。しかし、中国は、軍事力により他国の領土を自国のものにしようと思っているわけではない。(声明、条約、国連加入等)万が一、自国のものにしようと思っても、それは侵略故にできないのである。中国は、尖閣を自国のものと領有権を主張しているのである。沖縄や先島諸島をよこせと言っているわけではない。


安部政権は、中国の脅威を宣伝して日本国民を扇動し、集団的自衛権を行使する根拠としている。ちょうど中国共産党政権が日本国との対立を激化して、政権の基盤を強化しようとする行為と同じである。日中両国民とも自国政権に騙されてはいけない。


さて、尖閣問題は、日本の国有化から対立が先鋭化した。国有化すべきではなかった。国有化せず私有地であっても日本領土変わりはない。侵略には個別的自衛権で対応できるのである。米国も安保の対象になると言っている。私有地と国有地で日本の土地に変わりはない。福島県の私の土地は私有地なので日本国家が侵略から守ってくれないのだろうか。そうではないだろう。

石原慎太郎の扇動に乗せられてはいけなかったのだ。日本国民も民主党政権も。石原慎太郎は、中国共産党のまわし者だ。まあ、それは冗談としても、結果的に中国共産党を応援していることになるのは間違いない。中国を嫌いなら、日本の中国との軋轢を低めればよい。そうすれば、中国ではおのずと中国国民の不満は、中国共産党政権へ向かう。


国有化して対立が先鋭化した今でも、日本政府から、日中平和友好条約に従って、武力による解決や武力による威嚇でなく、平和的解決で行きましょう(同条約第一条)と呼びかければいい。そのためには領土問題があると認めることだ。「昔から私のものだ」と言っても、「もっと昔からおれのもの」という人がいれば、国際的には問題があるということだ。平和的解決では、後で述べるように、「国際司法裁判所に決めてもらいましょう」と提案するのが一番いい。そうでなくとも話し合いで棚上げ、共有、海域の共同利用なんて考えてもいい。
まずは、自国から緊張関係を弱める行動をすべきであって、軍事力強化=集団的自衛権の方向=緊張増幅で対応すべきでない。


対立の先鋭化は、中国共産党指導部・軍部の利益維持と日本の軍事産業の利益増進、軍事の好きな人たちの自己満足にしか役立たず、双方の国民の利益にならない。このことを日本国民・中国国民が騙されずに理解しなければいけない。


日本国憲法にのっとり、平和を、平和的手段で築かなければならない。緊張を増幅してはならない。


② 戦後の歴史から見て、東アジア安保状況が厳しい状況になったと言えない。

米ソ冷戦下では、ソ連という超大国とあるいはソ連・中国共産圏と厳しく対立した。現在は、共産圏勢力は消滅し、中国とも1979年締結の日中平和友好条約が存在する。つまり、厳しい状況ではなくむしろ比較して安穏な状況になったのである。

日本資本で中国人が作ったユニクロ製品を着ている人は多いだろう。資本・技術・製品・人、何をとっても、お互いいくら好きでも嫌いでも、日中は抜き差しならない間柄にある。この意味で相互依存関係にある。これを壊しては双方とも大きな不利益を被る。

冷戦下でも、個別的自衛権で対処してきた。冷戦より安穏な状況になったのであるから、集団的自衛権は不要である。