防衛省の安保研究制度を廃止せよ

朝日新聞1月12日のオピニョン欄に、「大学と軍事研究」という題で、大学による軍事研究の是非についての賛否両論が、掲載されていた。具体的には、防衛省年前に始めた安全保障技術研究推進制度(以下安保研究制度と略す)に大学が応募するのは、良いか悪いかという議論である。

賛成論は、日本学術会議会長大西隆氏が個人としての立場で述べている。その理由は以下のようである。
(1)技術の多くは、軍事と民生の両方使える「デュアルユース」である
(2)国民の多くは、個別的自衛権を認め、自衛隊の存在も認めている。自衛のための研究は、日本学術会議の「戦争を目的とした研究を行わない」という声明に矛盾しない
(3)自衛権の行使には、制限が必要。核兵器や毒ガスなど攻撃的性格を持つものは初めから除外すべき。大学が応募する場合、防衛省・研究者・研究者の所属する大学等が研究が自衛の範囲にとどまることの説明責任を持つ
(4)成果は、すべて公開すべきである。この制度では原則公開であること、特定秘密保護法の、特定秘密に指定しないとの方針を、防衛省は明らかにしている

反対論は、名古屋大名誉教授池内了氏である。その理由は、以下のようである。
(1)防衛技術は、攻撃の技術とセットであり、自国の防衛のための軍事技術は良いというのは、素朴すぎる。軍備の研究は、いったんタガが外れると、エスカレートし止められない
(2)技術は、軍事と民生両方に使える「デュアルユース」故、線引きできないという主張はおかしい。(あ)資金源、(い)資金提供の目的、(う)研究成果の公開性の3点で区別できる
(3)防衛省の応募要領には、「原則公開」とあるが、なぜ「公開は完全自由」と書かないのか。科学者は、自分の研究が平和を破壊する方向に使われないか、問いかけることが必要である
(4)文科省の「選択と集中」政策の下、政府の重視する分野にお金が集中していて、防衛省の資金に飛びつきたくなる研究者も出る。この状況に問題の根幹がある。


難しい問題ではある。安保政策と科学技術の根幹的な問題を含むからである。考えた結果私は、現在、大学が軍事研究にかかわることには、絶対反対という結論に至った。

(1)現状及び現政権下での、大学の軍事研究は、認めるべきでない
大西氏は、明確に意識していないが、しかし、議論の根拠にしている、厳密な意味の自衛戦争(自国領土を侵された場合の防衛戦争)というのがあり、それを認めるなら、その自衛戦争のための軍事技術の研究は、認められてもよいと思う。皆のお金である税金を投じる場合、その効率は、当然研究されなばならないからである。こんな軍事研究を認める場合、厳密な意味の自衛戦争しか絶対しないという確証が必要である。

しかるに、現政権下の政策は、厳密な意味の自衛戦争を超えて「積極的平和主義」という名目のもと、他国の戦争に参戦することを認めた安保法制を成立させた。そして他国への武器輸出を大きく緩和した。現政権の下では、厳密な意味の自衛戦争を超える可能性は間違いなくある。結局、大西氏の議論は、安倍政権の下ではまったく成立しない議議論である。軍事研究は、安保法制の破棄、武器輸出3原則の復活、安保条約=「侵略戦争も可能な」米国との条約の破棄または非軍事化をしたのちに、考えるべきことである。
尚日本国民の多数が、非武装の安全保障体制にしたいと思うなら、軍事研究は、一切必要ないことになるのは、当然である。

(2)防衛省の安保研究制度は、絶対廃止すべきである
多くかどうかは別にして、技術が軍事にも民生にも使えることに、異論はない。原子力が、発電にも医療にも役立つ一方、原水爆にも使われることに明らかなように、技術は、軍事にも民生にも使えるものである。それを線引きできるかどうか。反対論の池内氏は、見分けられるというが、私は難しいと思う。しかし、難しいからこそ、できるだけ、厳しく区別する必要がある。つまり、池内氏の、資金源、資金提供の目的、研究成果の公開性は、ぜひ満たさなければならない。十分とは言えないが、この3原則は、ぜひ必要な条件である。そう考えると、現在問題となっている「防衛省安保研究制度」は、やってはならないことである。防衛省がお金を出すのは、民生ではない。民生なら他の省が予算をつけるのである。軍事目的であるのは、自明のことである。防衛省が、介護充実のためのお金を出すことは、誰も考えないだろう。そんなことをしたらかえっておかしいことである。

大学の研究にお金を出すのは、文科省である。一方、その研究費が大きく縮小されているのは、周知のとおりである。文科省が一方的に、政府の目的実現のために、大学へのお金をどこに使うか決定するのは、よくない。政府が政権党で作られているからである。政権党、すなわち多数が正しいとは限らないからである教育は、教育現場に任せるべきである。まあ、それはさておく。

文科省以上に、防衛省が大学に金を出すというのは、問題である。防衛省とは、軍事力による平和維持を目指すものだからである。しかしながら、軍事力による平和維持以外の、平和維持の方法があるのも事実である。そちらをもっと研究するべきかもしれない。そちらの方にお金を使うことが正しいのかもしれない。それは、わからないのである。つまりは、原則、大学=未来の正しいあり方を追求する組織に任せるべきである。防衛省安保研究制度のお金は、減額された大学への研究費に回すべきお金である。

安倍政権は、日本版NSC特定秘密保護法集団的自衛権の行使容認(安保法制)・防衛装備移転原則=武器輸出緩和等、軍事力による安全保障に傾いている。それが正しいと限らない。ゆえに、正しいことを追求する教育に影響力を及ぼしてはいけない。防衛省安保研究制度は、教育への影響力の行使である。防衛省の安保研究制度は、絶対やめるべきである。これは、予算をどこに使うかの問題である。教育への予算を、防衛省にやってはいけない。このことについての、野党の勉強と、もうすぐ始まる、国会での野党の追及に期待する。

防衛省の安保研究費は、導入された2015年は、3億円、2016年は、6億円、2017年は、なんと110億円である。うなぎ上りなんてものじゃない。昇竜の勢いと言ったらいいか。研究費全体を減らしておいて、軍事研究には金出すぞ、何てことは、断じて許してはならない。防衛省の安保研究費は、軍事勢力の教育支配である。

本日午後、2回目の地元スタンディングを行った。寒い。寒いせいかわずか6名の参加であった。

写真にはないけど、また小学生が通った。いつもは、一年生だけであるが、今日は大きい小学生も通っていった。頭を下げて通った。興味津々のようであった。意味が分からなくとも、何かの意見表明とはわかるだろう。高校の国語で、多くの生徒は、「権利の上に眠るな」という文章を習うだろう。現憲法12条(国民の不断の努力による権利の保持義務)と97条(人類の努力による権利の獲得)を説明した丸山眞男の名文である。その時、私たちのことを思い出してくれたらありがたいな。