年末の散歩

昨晩の散歩で見た空は、星星がくっきりと見え翌日の寒さを予想させるものでした。

今朝は、やはり寒い朝で霜が降りていました。その割には池の氷は少ない。裏の畑に行きますと、水菜もホウレンソウもチンゲン菜も霜をかぶって縮こまっています。

お日様の光は暖かいので散歩に出ました。道路のそばの畑には、ペットボトルや空き缶がかなり捨ててありました。草が枯れて目に入るようになったからでしょうか、冬には結構気にかかります。

今年は多いなあなんて思います。アベノミクスで見かけの景気が良くなったからなのか、なんて思いましたが、しかし多分、今年が多いというのは気のせいでしょう。

このゴミをかたづけるのは畑の持ち主なんでしょうけど、いやな気分でしょう。捨てる人はそんなことを考えないんだ。もっとも人が使い捨てされる世の中です。使い捨てのペッボトルが捨てられるのは当たり前か。


いつも注目している畑を見ると、玉ねぎが約15センチくらいに伸びて青々として勢いが良い。しかもそろって伸びている。俺の玉ねぎはきわめて不ぞろいだ。苗の違いだな。

この畑には誰もペットボトルを捨てていない。きれいで見事だから、汚しちゃ悪いという気持ちが働くのでしょう。

遠くを見ますと里山の連なりに白いものが見えます。数日前の雨があそこでは雪となり積もったようです。右を見ますと、県境の自然破壊が目に飛び込みます。

採石場です。ここで砕石を製造しています。母の生まれた村は、この山の向こうです。その村の人たちは、この採石で山を崩したら良いコメが取れなくなるなんて心配していました。夏のやませ(海からの冷たい風)が吹きこむようになるからです。

コメの出来具合はわかりませんが、山が2つなくなりました。5万分の1の地形図ではっきり分かる変化です。皮膚をはがされた山体が露出しています。

津波で破壊された海岸の復興、被災者のアパート・住宅建設で、砕石はものすごい需要です。もちろんコンクリートの原料です。高速道路もつくられています。

しかし、こんなに自然を壊していいんだろうか。

とはいっても、私も自分の農業小屋を作るのに、砕石を30袋程買いましたが。私の小屋作りも自然破壊の元か。

昨晩クリスマスイブでチョコレートケーキを食べました。このチョコレートの原料は、アフリカのカカオ。カカオ生産地は、多くが白人や現地の金持ちに支配された農園とのこと。貧しい生活の人々の過酷な労働の上に成り立つチョコレートケーキか。

私が着てるユニクロ製品も、中国の貧しい出稼ぎの農民の過酷な労働の結果生み出されたものなんでしょう。

こんなんでいいんだろうか。・・・しょうがないか。

こんなことを考えながら散歩から帰ってきました。
これから夜勤です。