満開の桜に思ったこと

馬陵城址福島県相馬市)の桜も満開です。

年度末、年度初めの時期で仕事上の悩みの多い日々を過ごしています。傍から見ればそんなつまらぬことと言われそうなことなんです。人間が小さいため、悩みます。「この悩み頭から取り出して、もじゃくって、ぶん投げたい」

夜勤明けの重い頭で、城跡の桜を見に行きました。少し歩いて寝た方がうまく眠れることが多いのです。

城跡の桜は満開でした。かなり強い風が吹いています。しかし、満開になったばかりの桜は散りません。花びらでいえば、生まれたばかりの花びら達なのでしょう。時期が来れば役割を終え、風がなくとも全て散ってゆきます。はらり、はらり。

昭和20年の桜は特に美しかったという文章を多く見ます。桜も年により美しさが違うように思います。しかし昭和20年の桜はホントに美しかったのでしょうか。見る人のこころのありようが、特に美しいと感じさせるのでしょうか。 

昭和20年4月、米軍の沖縄占領作戦が本格化します。戦艦大和海上特攻を始め、空からの特攻が続きます。ウイキペデイアによりますと、航空特攻戦死者が3000名以上のようです。

特攻隊員は、自分を桜になぞらえ、軍歌の一節「咲いた花なら散るのが定め、見事散りましょ国のため」と歌ったことでしょう。

しかしこの歌には誤魔化しがある。花は役割を終えて散る。20歳の若者は役割を終えたなんてとても言えない。まだ咲いちゃいないんだよ。あるいは咲き始めたばかりなんだよ。君たちは。自然界であれば、強い風にも散らないんだよ。今日の城跡の満開の桜のように。「散る定め」なら80、90になって死にな。国家とは人間の自然を破壊するもののようです。こんな嘘歌、歌うな。誤魔化されるな。

 
40年前、職場の組合の宴会の最後は皆で立ち上がって軍歌斉唱でした。「さらばラバウルよ」がよく歌われていたなあ。
その職場組合は、安保反対・基地反対・戦争反対・憲法護持の組合でした。今は見る影もない組合ですが。
軍歌を歌うのは、矛盾じゃないですか。

私は、「さあ歌うべ」と先輩に誘われても、座り込んで歌いませんでした。俺一人のストライキ

しかし、考えてみれば、50代の先輩は、戦争経験者です。戦争中は20代だったんです。あの特攻隊員たちと同じ年代だったんです。歌うはずです。けれども戦争体験者以外は歌うのは変だな。満開の桜を見ながら、そんな大昔のことも思い出しました。
 

私は、君が代と軍歌は死ぬまで歌いません。でも現天皇は、戦後憲法精神・制度の密かな擁護者(多分)として尊敬してますし、犬死と思う一方、軍歌を歌った特攻隊員の心を美しいと思います。(しかし、美しいと言っちゃだめだ。特攻隊員に。「散るのが定め」の歌は、歌っちゃだめだ。戦争体験者以外は歌うな、殺人や自殺のほう助だ。命の手段化容認だ。俺はそう思う。)

さあて、散歩してきて頭に浮かんだことを文章に書いて、いっぱいデンプン質をとった。少し眠くなった。これじゃ太るなあ。でも、定年まで働いたし、子どもも二人作ったし、
「散っても定め」だな。いやー今の仕事終えて、もっともっと遊ばないと。

「24の瞳」か「寅」でも見て眠るか。うまく眠れるといいなあ。

それから・・・
昼から酒まで飲んでぐっすり3時間寝ました。