2・26事件よりも阿部定事件

一人ひとりは、世界や日本の動きにどれだけかかわれるのだろう。いやそれ以前に、ある出来事の本質をどれだけ認識出来るのだろう。

色川大吉「ある昭和史ー自分史の試み」を再読して、こう思った。

昭和11年(1936年)は、私(小6)にとっては、2・26事件よりもベルリン・オリンピックよりも阿部定事件のあった年として忘れがたい。なぜ阿部定事件が?と言うと私はこの事件をきっかけとして、天皇も皇后もまた同じ人間であるという真理に目覚めさせられたからである。阿部定事件がおこったのは5月。町中がその話題で持ちきりだった・・」

>私の周囲の大人たちは、2・26事件よりも阿部定事件の方に関心を寄せていたと思う。スペイン戦争よりもベルリン・オリンピックの方に興味を持っていたのだろうと思う。日本の歴史を急角度に戦争の方向に振り向けたこの大クーデター事件に対して、父母やその周囲の者に印象を聴いても、ほとんどまとまった感想を得ることが出来ない<

>1939年の1月15日は、半数以上の日本人がラジオにかじりついて興奮していた。スポーツ界のアイドル双葉山が、・・・(略)・・・安芸の海の外掛けに倒されたと言うのである。・・・しかし私たちの目は盲いていたものだ。双葉山が倒れても平沼内閣が倒れても世界の歴史に何の影響もなかったけれども、この直後に起こったバルセロナの陥落(スペイン人民戦線の敗北)は、十数億人の人間の運命に直接重大な影響をもたらすきっかけとなった。人はこの世に同時に起こっッているたくさんの出来ごとのうち、何が本質で決定的なものかを判断することを億劫がる。そして、自分の関与しただけのことに視野を狭め、自分が好感をい抱いたものを重要なものとみなし、それを基準として人生や世界を判断したがる<

双葉山に熱狂しながらもバルセロナの陥落にわが身の痛さを感じなかった私たちは、さしずめ歴史の判断を誤る一人であり、そのため危うく犬死しそこなった同類の一人なのである<


随分長く引用しました。

色川大吉は、あの五日市憲法美智子皇后がこの憲法に言及したということをどこかで知り、戦後民主主義立憲主義の密かな擁護者ではないかと思いました)を発見したグループの指導者で、私の尊敬する歴史家です。かれはこの本で、自分個人の歴史を昭和史の中に位置づけ、考えを展開していきます。

私は、今の日本は、色川氏の言う「歴史の判断を誤る」時にさしかかっているのじゃないかと思っています。

と言うのは、安倍政権は、戦後の立憲主義=民主主義の基礎、平和主義、基本的人権を破壊する政権だと思うからです。

憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使するのは、民主主義・平和主義の破壊と思います。特定秘密保護法は、基本的人権自由権・知る権利)の圧殺につながると思います。

決められない民主党・内部抗争の民主党・日替わり首相の民主党・公約違反の民主党を嫌って、安部政権を国民が選んだのは、>盲しいていた<のではと思います。
アベノミクスに眼を奪われているのは、>盲している<のではと思います。>歴史の判断を間違った<のではと思っています。

スポーツに熱狂、犯罪に興味、お笑い・クイズ、身近な衣食住、娯楽に興味を持つ、他国の事件(たとえば韓国の旅客船沈没)に興味を持つ、それは悪いことではありません。
仕事に一生懸命、趣味に夢中、それはいいことです。

しかし、私たちは、出来ごとの本質は何かを考えること面倒くさがってないでしょうか。
戦前と違って、未だ国民主権・人権尊重・平和主義の憲法が生きています。その内容を失ってはなりません。
私はそう思っています。