最近、頸・肩・右腕の痛みが抜けず、なじみの接骨院に行ったら病状を聞かれました。
私が「脳外の先生には、ストレイトネック、整形外科の先生には、変形頸椎と言われている」と言ったら、S施術師曰「それ、医師が加齢の代わりに言う言葉」。なるほど。
右の腰は、もう何年も痛い。これは、医師に診てもらってないので、なんだかはわかりませんが、きっと例の坐骨神経痛ってやつかな、と思ってます。これ以上ひどくなったら医者に行くつもりです。
痛みとの伴走。痛みとともに生きる。死んだら「痛みとともに去りぬ」なんてね(笑)
それはさておき。
NHKスペシャル・映像の世紀バタフライで「安保闘争ー燃え上がった政治の季節」を見ました。
現在の中年から若者に、こんなに日本中が政治に盛り上がったことがあったことを知らせるのには、良い番組でした。
1960年10歳になったばかりの私も「安保、反対」「安保、反対」という言葉を当時知ってました。勿論意味は分かりません。校庭で、上級生10人くらいが「安保、反対」を言いながらデモをしてたのを覚えています。彼等も意味なぞ知らないでしょう、流行だったのです。
番組では、私の知らない面白いエピソードもありまして、興味深いものでした。
「上を向いて歩こう」が、作詞者永六輔の60年安保闘争の敗北感を歌ったものなんて、知りませんでした。そういえばこの歌、悲しい雰囲気も感じます。その永六輔が70年安保の新左翼などの挫折を揶揄している「続『「幼なじみ』」を作っていることも知りませんでした。
60年安保時に、俳優たちの安保反対署名運動があったことを知って、「へえー」とも思いました。見たことある映画スターがいたのですが、名前が出ません。俺が大ファンだった芦川いづみはどうだったのかなあ。
国鉄のストに、通勤客が好意的というのにはびっくりしました。
患者さん見送られて、医者と看護師がデモ参加なんて、いい光景です。商店主たちが
商売物のバイクでデモなんてほほえましい。
安保反対闘争は、多くの国民のものだったようです。政治上の意見表明も抵抗が少なかったようです。
一方石原裕次郎主演の映画(題名、内容不詳)では、安保闘争に参加した女性が乱暴されたという設定があり、批判的に見ているんだなと思ったことがありました。勿論後で見たTV放映の裕次郎映画です。
60年安保は、デモ隊が丸腰、70安保では、新左翼系がゲバ棒という違いは、言われてそうでしたと再認識しました。(但し70年安保でも、大多数は、丸腰デモでした)
現在と大いに違う、政治上の熱気ある国民を描いて興味ある番組でした。
但し、現在の私から見て、この番組は、食い足りないと思うし、むしろある本質を隠してしまったとも思いました。
この番組は、
1951年のサンフランシスコ条約と同日に結ばれた日米安保条約、そして1960年の安保闘争、さらに1970年の70年安保闘争を描いたものでした。
確かに、現在の目から見ると、どうしてこんなに国民は政治に積極的にかかわったんだろうという率直な疑問が起きます。
この番組は「どうしてこんなに燃え盛ったか」に答えるという構成でした。
1951年の安保条約を結んだ吉田茂総理は、「安保条約は国民に不人気だ。政治家の経歴の傷になる」と言って自分しか署名しませんでした。(吉田は偉い!と思った)
戦争体験者の国民の、「戦争はもうこりごり、国民の戦争拒否」が安保条約の不人気の背景と番組は言っているようでした。
1960年安保闘争では、米軍の立川基地拡張に伴う砂川闘争で、当時の安保条約の不平等さへの怒りがあったというとらえ方でした。
当時の岸信介総理は、「吉田茂の結んだ安保条約は、米軍に占領されているのと同じ状態だ。対等の条約にすべきと言って条約改定を進めました。
締結した新安保条約の批准の過程で、衆院への警官隊導入という岸政権の強権政治への批判が、国民運動が燃え盛ったという解釈でした。
「70年安保」は、ベトナム反戦と日本の同戦争への加担への反対(北ベトナム爆撃に沖縄嘉手納基地からB52が出撃)が燃え盛った原因と番組は見ていると思いました。
私も、51年の「体験からくる戦争拒否」60年の「安保条約の不平等」「岸の強権政治反対=民主主義擁護」、70年の「ベトナム反戦、日本の戦争加担反対」いずれも、その通りと思います。
そして安保闘争の収束を、60年安保では、高度成長の結果の豊かな生活への希求、70年安保では、高度成長・ゲバルト・内部抗争・殺人リンチに原因を見ているようでした。
それも当たっていると思います。
しかし、番組は、安保反対の重要なそして当然の要素を省いていると思いました。
それは、米国の戦争に巻き込まれる不安から、安保条約に反対したという要素です
51年の反対の根幹は、全面講和論でした。東西冷戦下で米側につくことは、東側(ソ連・中国等)と戦うことになる。米国の戦争に巻き込まれる、と言う事でした。
1960年の安保反対も、番組で紹介されたように国会での主要な論戦は、新安保条約の適用範囲でした。北方領土・朝鮮半島・沖縄・台湾、・・・それぞれどうか?と言う事でした。
これがなぜ問題になるか、それは米軍が日本の基地を利用して軍事行動をする範囲の問題です。米軍が、それぞれの地域で、ソ連・中国・北朝鮮と戦争になった時、日本も戦争に巻き込まれる、と心配したからでした。
70年安保でも同様でした。米国の戦争に巻き込まれる心配が基調にありました。
つまり、日中戦争・太平洋戦争の惨禍を経験し、戦争は絶対しないと決意し、戦争放棄の憲法を持つ我々日本国民が、安保条約によって、自分が望まなくとも、米国の戦争に巻き込まれる、という不安・嫌悪感が、安保闘争の根底に流れていたものです。
(勿論、2度の安保闘争には、例えば唐牛全学連委員長の演説シーンのバックに、平等要求・個人主義・民主主義追求的な垂れ幕が下がっていることでわかるように、その時代の、多くの不満や要望と理想実現の要求がありました。国の安全保障面だけでなく、経済的・社会的・政治的面もあったわけです)
この番組は、当時の多くの国民が、「戦争放棄の日本が米国の戦争に巻き込まれるという不安」に動かされたという面を、明確に言ってませんでした。
米国の戦争に日本が巻き込まれる不安というのは、現在および将来に続く不安です。
70年に自動延長が決まった安保条約は、その後どんどん進化しました。安保条約の条文では、日本国が戦争するのは、日本国内にある米軍基地を攻撃された場合だけです。
ところがどうでしょう。現在では、1999年周辺事態法、さらに2015年成立の安保法制で、日本国外で戦う米軍を支援できることになっています。
「台湾有事は日本有事」という自公政府中枢の発言がその典型です。一昨年末には、敵国攻撃能力の保持まで政府解釈で決められました。
戦争放棄の日本は、どこに行ったのでしょう。少なくとも安保条約の範囲内(日本領内の米軍への攻撃に対して、自衛隊も米軍と共同で戦う)で日本も戦うということに戻すべきです。
但し70年安保闘争後も、安保反対闘争は続いてきました。主として自民党政府の自衛隊任務拡大反対という面でです。
1991年のPKO法、1999年の周辺事態法、2003年イラク特措法・有事法制、2015年安保法制等に対する反対闘争です。現在の敵基地攻撃能力保持反対・防衛費GDPの2%増大反対・戦闘機輸出反対もその続きです。
(私は、2015年の安保法制反対を第3の安保闘争と考えています)
その基本は、戦争放棄の日本が、米国の戦争に巻き込まれる不安だと思います。
ですから、番組では、米国の戦争に巻き込まれる不安という、安保闘争の大きな柱を言ってほしかったと思います。
これは、現政権批判につながる面もありますので、NHKが遠慮したのではと私は勘ぐっています。
さて、安保闘争という巨大な歴史事象には、様々な視点があります。
WIKIを見ますと、岸内閣が右翼を総動員したこと、自衛隊を民衆鎮圧に使うかという動きがあったこと、ソ連が、社会党・共産党・労組に資金援助したこと、勿論米国が安保条約を応援したのは言うまでもありません。(大統領が日本訪問を目指して沖縄まで来た(結局断念))この点から見て、東西冷戦の大きな一局面でもあります。
さて日米安保条約をどうするか、それは各人がそれぞれ現状認識・経験・知識・理想等から考えることでしょう。
勿論、安保条約・安保関連諸法制は、日本の安全に資するという考えから言えば、どうする必要もない、さらに強化すべきだとなるでしょう。
私は、安保条約は、日本を戦争に巻き込む危険があり、日米同盟は集団的自衛権の流れの一つで、集団的自衛権の強化は、世界戦争を招く危険があると考え、国連の集団安全保障方式あるいは国際法の強化(1928年不戦条約以降の戦争防止の諸条約)を目指すべきと思っています。
尚安保条約や安保法制は当然だ、もっと進めるべきという考えの基本に、(軍事)抑止力という考えがありますが、私はそれには否定的です。
参考:もう11年前の記事ですが、考えの基本は変わってません。
軍事力に頼らない平和の方式について
軍事力に頼らない平和の方式について - A0153’s diary
参考:第三の安保闘争と私が言いたい、2015年安保法制反対について
安保法制は、戦争を抑止するか、日本を戦争に巻き込むか
安保法制は、戦争を抑止するか、日本を戦争に巻き込むか - A0153’s diary
私は70年安保闘争の当事者です。簡単な総括(今もって総括を恐ろしい言葉と感じます。ソーカツを恐ろしい言葉にしてしまった新左翼の一派の行動の罪深さ)をしましょう。
ずいぶん長くなりました。別項目で述べます。
この長文をよんでくれた人に感謝します。